快フィットネス研究所『健康かわら版』

健康かわら版・題名一覧
H29.2 「30分に1回は立て!」
H28.10 「怖い睡眠時無呼吸症候群」
H28.4 「記憶は変わる、変えられる!」
H28.2 「そう来たかぁ〜!」
H27.12 「笑ってゆるしてぇ〜!」
H27.10 「歯は磨かない?」
H27.3 「ガンは味方?」
H27.2 「昔の常識は今の…認知症は治らない!」
H26.10 「薬は治してくれない!」
H26.5 「認知症は治らない!」
H26.5 「今を生きる!」
H26.3 「細胞に酸素と栄養を!」
H26.2 「笑いと健康!」
H25.10 「健康第一!」
H25.9 「価値のない生きがい」
H25.7 「ガンは『心』で治す」
H25.6 「常の意識が大切かと!」
H25.3 「生きるということ」
H25.1 「ガンは5年以内に日本から消える」
H24.11 「メタボの次はロコモ!」
H24.8 「逝き方は生き方!」
H24.6 「がんは生活習慣病!」
H24.4 「同じ対処法でいいのかな?」
H24.2 「沈黙は金!」
H23.12 「一言の重み!」
H23.9 「ただ恐れるは逆効果!」
H23.7 「やれば出る効果!」
H23.4 「想定外!」
H23.1 「明日は我が身!」
H22.10 「中からほぐす『笑い』」
H22.8 「千の風になって」
H22.6 「笑いで免疫力アップ」
H22.3 「怒りは損気」
H21.12 「主体は誰?」
H21.9 「かばい過ぎも問題」
H21.7 「大きな勘違い」
H21.5 「よみがえる脳」
H21.3 「愛と死を見つめて」
H21.2 「口呼吸にご注意!」
H21.1 「まだまだ分かっていないことが多いようですから…」
H20.11 「心身を任せると言うこと」
H20.9 「取り越し苦労はほどほどに」
H20.7 「運動は苦行ではないのです」
H20.5 「忘れ去られている道具」
H20.3 「体操が悪いのでしょうか?」
H20.1 「脳は案外いい加減!」
H19.11 「健康という土俵」
H19.8 「いろいろな自分がいる?」
H19.5 「やれることはいっぱいあるぞ!」
H19.1 「足ることを知ると幸せになれる」
H18.9 「うれしいお便りもあれば…」
H18.7 「自給自足は何の種?」
H18.4 「幸せは自らの内側に…」
H18.1 「『どうにかなるさ』は前向き姿勢」
H17.10 「健康は『生きがい』から」
H17.8 「深層筋は弱く、小さく、ゆっくりが合言葉」
H17.4 「刺激は強い方がお好き?」
H16.12 「ストレスをうまく乗り切ろう」
H16.9 「さて!あなたは笑えますか?」
H16.7 「一病息災?無病息災?」
H16.5 「ほぐれる身体、ゆるむ心」
H16.2 「あなたの貯蓄はいかほど?」

快フィットネス研究所・『健康かわら版』






第71号・H29年2月「30分に1回は立て!」

この1年半の間、世界的に血流の阻害が健康に良くないということが言われています。 冷え症の方は、血流が悪いわけで、種々の不快症状に悩まされています。 また今や二人に一人がなる時代と言われている「ガン」も、低体温で起こりやすいとされています。低体温ということは血流がわるいということです。 この健康において大事な血流を阻害する要因として、特に長い時間すわり姿勢を続けることが挙げられているのです。 座ると膝、腰が折れ曲がり血流が悪くなります。 そこで現在、世界の一流企業などでは、椅子に座って行う事務職、デスクワークを立ったままで行うところも出てきたほどです。また、座って学習する学校でも、高さが自由に変えられる机椅子を使用しているところがあるとのことです。その机椅子は、現在ワンセットで10万円くらいするとのこと。 さて、世界的に見て、1日のうちで座る時間が長い国はどこでしょうか? もうお分かりですね。我が日本です。床に座る文化を持つ日本は他の国に比べて座る時間が長いそうです。 座っていけないとは言っているわけではありません。1回座った時の座りの継続時間が長いことが問題なのです。 皆さんの中にも、編み物、将棋、囲碁などが趣味の方がいらっしゃることと思いますが、どうでしょうか、1回座ったらどれくらいの時間座り続けていますでしょうか?1時間、2時間・・・ですね。 長く座った後、腰肩が固まっている状態を経験した方は多いと思います。 したがって、これからは立って歩きながら編み物をする、立ったまま将棋をするといいわけです。・・・ってなわけにもいきませんね。 そこで、座ったら、「30分に1回は立て!」が合言葉なのです。 タイマーなどを利用して、30分経ったら、一度立ち上がる。最低立ち上がるだけでもいいのですが、できれば歩き回る、簡単な体操で体を動かすことが肝要です。  もうひとつ30分に1回は立ち上がった方がいいという理由が、耳の奥についている「耳石」(じせき)です。 耳石は重力を感知するセンサーで、姿勢に関与するだけでなく、体の種々の代謝にも影響を持つ器官なのだそうです。中性脂肪、骨密度、糖尿などなどにもこの耳石が関連しているようです。 したがって、この耳石を動かすべく、30分に1回は立ち上がるのですが、この時に耳石が付いている頭を少し大げさに色々な方向に動かしてあげるとさらに良いそうです。 ・・・ということは、、座って、小難しいあるいはつまらない話を聞いていて、コックリ、コックリやる、いわゆる「船漕ぎ運動」も耳石を動かしていることになるので、まんざら悪くはないかもしれませんね。




第70号・H28年10月「怖い睡眠時無呼吸症候群」

睡眠時無呼吸症候群が、知られるようになったのは、日中の大きな交通事故でした。運転中に突然眠りに入ってしまい大事故になったものでした。 この睡眠時無呼吸症候群は、いびきをかく人に多いことが知られています。いびきの音が出るということは、息の通り道気道が狭くなりそこで音が発生します。したがっていびきをかく人は気道が狭いので、無呼吸症候群になりやすいというわけです。 ひどいいびきや無呼吸症候群では、息ぐるしいだけでなく、睡眠中の血中酸素濃度が下がります。ゴム風船をふくらませながら寝ていることになるのだそうです。 つまり睡眠時間は確保できていても、寝ながら疲れる、そしてストレス状態になるので、朝起きた時に疲労感が残ります。 この状態が続くと、先に書いたように日中の極度の眠気や、高血圧、心筋梗塞、脳卒中、うつ病にかかりやすくなるのです。 自分は以前からひどくはないにしてもいびきをかくことを認識していましたが、この夏前ごろ、朝の目覚めが悪く、頭が重い、日中の眠気が強いなどを実感しており、ひょっとして睡眠時無呼吸症候群になっているのでは?という疑いを持ちました。 なにせ寝ている時の自分の呼吸の様子です。全く知る由もありません。そこで、意を決して、睡眠外来クリニックを受診しました。 まずは、睡眠時の呼吸の様子を家で検査する簡易テストを行いましたところ、1時間に10回以上息が止まり、最大止まっていたのがなんと84秒でした。これでは朝のすっきり感がないのも当然です。この検査では「軽症の睡眠時無呼吸症候群が疑われる」との結果でした。 正式診断は、クリニックでの一泊の正式検査が必要とのことで、これも受けました。約1時間かけて全身にセンサーを付け、夜9時消灯で翌朝6時まで寝ていなければなりません。部屋にはカメラも据え付けられていました。知人で同じ検査を受けたものの一睡もできずにお泊り検査料1万5千円がパーになった人もいます。 さて、この正式検査でも1時間に10回の息の停止があり、今回は最大44秒停止していました。診断は「軽症の睡眠時無呼吸症低呼吸候群」でした。 この後の対処法としては、マウスピースの作成、その次はマスクから空気を送り込むシーバップとなりますが、僕の場合は軽症なので、やってもやらなくてもよいとのことでした。 データーを見ると寝姿勢が横寝になっている時には呼吸は止まっていませんでした。そこでしばらくこの横寝を心がけることで様子を見ています。以前のような朝の不快症状がなくなりましたので、このまま続けてみようと思っていますが、就寝時には確かに横寝になって寝ますが、気が付いた時には違う姿勢になっているので、どの程度の横寝状態を保てているのかは不明です。 あとは口の下の付け根、喉の奥の筋肉を動かすトレーニングを併用しています。 寝るのも楽ではないのです。




第69号・H28年4月「記憶は変わる、変えられる!」

東日本大震災、節目の5年を迎え、それに合わせてこの震災を題材にしたパフォーマンス、小劇を見る機会がありました。このパフォーマンスのバックグラウンドにある考え方が「その人の記憶は、その人がその事象を経験したその時の環境(心身状態)によって決定される。したがってその事象の記憶は自分自身が作り上げたものなので自分で変えることができる。」というものです。 確かに、同じことを一緒に体験したはずなのに、自分のその事象に対する記憶と、他の人の記憶がすれ違っていることを多々経験しています。極端な場合、昨日の出来事を体験した人と話をしていて、その記憶の違いに首を傾げた経験はありませんでしょうか? 他に、あるテレビ番組を見て、感動した記憶をずっと持ち続けて、数年後にその番組のビデオを見てみると、自分の覚えていたはずの内容と食い違っていることを知って驚いた経験もあります。 「他人と過去は変えられない」という言葉がありますが、過去に起こった事実は変えられませんが、その記憶は自分で変えることができるということになるわけです。 過去に、突然身に降りかかった不幸だと感じていた事故、事象が、今になって思えば「あってよかったこと」に変わっている経験もあります。 衝撃的な体験の記憶が、その後の生活に悪く影響してしまうものをPTSDと呼んでいます。その時の記憶により健康状態が害されてしまうのですが、上記の「記憶は自分で変えることができる」とすれば、このPTSDの記憶も変えられるということになります。 5年前の震災では多くの方が、PTSDに苦しんでいると聞きます。確かにその時点に戻ってその事象を味わっていたのではなかなかそこからの離脱は難しいと思われますが、その後の生活の中で、その事象によって生じたプラスの経験を意識することによって、その悲惨な体験記憶も変わっていくと思われます。もちろんそう簡単にできることでないことは事実です。 「うらみ、つらみ」は過去に起きたある事象に立ち戻って行っている行為です。つまり過去に生きているわけです。しかし大事なのは、今現在がどうなのかです。今を充実して生きるためにその「うらみ、つらみ」が必要なのかどうかです。 嫌なことを想い出し、感情はネガティブになり、暗くなる、イライラすることは楽しいことでしょうか?そのつらい出来事も、再度呼び起せないくらいの記憶に変えることができればいいと思います。簡単ではないでしょうが、可能なはずです。 まだ起こっていない将来のことを不安がることも無駄なことです。上述したように起きてしまった、過去のつらい事象にしがみついているのもこれまた無駄なことです。 大事なのは、今この時をいかに充実させて生きるかです。その積み重ねが、自分の人生になっていくのです。 たまには、楽しかった想い出に浸る、輝く将来に想いを馳せることもいいでしょう。 でもそれらは、今を生きるためのスパイスです。大事なのは、「今この時」をいかに充実させて限りある人生を生きるかです。




第68号・H28年2月「そう来たかぁ〜!」

 皆さんは「十人十色」という言葉をご存知だと思います。これは、一人ひとり違っているので、考え方、やり方もそれぞれですよ、ということですね。  ところが、他人の行動、考え方に対して、怒ってストレスを感じているときは、「自分の考え方、やり方が正しいのに、なんでそうしないのだ!」と思っています。つまり自分が唯一のルールであり、他の人のやり方は認めていないことになります。  前回書きましたように、心の上に「奴」が乗っかっている状態が「怒り」でした。でも「十人十色」ですから、自分のやり方とは違うけども、あの人のようなやり方もあるなと認めることができれば、そんなに怒ることはなくなるでしょう。その時の、心根が、「恕す」(ゆるす)でした。  物事には、必ず良い面と悪い面があります。「ゆっくり、遅い」は「慎重」。「あわてんぼ」は「機敏」などなど。 ですから自分の考え方、やり方とは異なっている他の人のやり方にも良いところがあるということです。良い所を認めると「ほめ言葉」が出てきます。 ところが一般的に、自分のものとは異なっていると、相手の悪い面ばかりに目が行って相手をけなすことに徹してしまいます。 言われる立場になれば、もちろんほめ言葉を受け取ればうれしいと思いますが、言う立場にしてもほめ言葉を出す、言う方がストレスにならないばかりか、自分自身も幸せな気分になるのではないでしょうか? 「ほめたつ検定」というものがあり、ほめる能力を高めるための講座を行っています。そこでは、使わない方が良い「4D」言葉が紹介されています。「ダメ、でも、だって、どうせ」です。ネガティブ、マイナス語です。相手を認めていないという言葉です。皆さんは多用していないですか? これに対して、ほめる「4S+1」言葉があるとのこと。それが「すてき、さすが、すばらしい、すごい」の4つ。なるべく4D語ではなくこれらの言葉を多用したいところです。そしてあともうひとつ。どう見ても受け入れがたいことを相手がしたときに使う言葉…、それが「そう来たかぁ〜!」なのだそうです。 試しに、何か理不尽な出来事を思い浮かべながら、「そう来たかぁ〜!」と言ってみてください。何気に心に「ゆとり」のようなものが生まれるような気がしませんか?するとその後の対応の仕方も、やんわり変わってくるように思います。 この「そう来たかぁ〜!」を口に出すことで、怒りに突入することなく、「恕し」の心情を持ちやすくなるようです。 怒ると自分自身がその怒りの炎で焼かれて、ストレスがたまり、そして自分の健康を害する。その馬鹿々々しさを回避するためにも、怒らない、恕しの気持ちが大切なのです。 ところが、相手のまずい行いに対してどうしても瞬時に「恕し」の気持ちを持つことは困難です。ここで魔法の言葉、「そう来たかぁ〜!」を言うことによって、恕しの気持ちを誘導して穏やかに対処したいものです。




第67号・H27年12月「笑ってゆるしてぇ〜!」

 さてこの12月から、50人以上の企業は従業員に対して、年1回のストレス度チェックをしなければならないことが義務付けられました。これは、ストレスによる弊害が顕著になってきたからに他なりません。出社拒否、うつ、自殺などです。  ストレスの元(ストレッサー)はいろいろありますが、深刻な原因の最たるものは、やはり人間関係のようです。いじめ、いやがらせ、○○ハラスメントなどです。  昔から「他人と過去は変えられない」という言葉があるように、「あの人がああ変わってくれたらいいのになあ!」と思っても変わりません。その変わらないものに期待して、そして裏切られるのでますますストレスになるようです。  では、どうしたらよいのか?  ひとつの手法が「ゆるし」です。その相手の行いを「ゆする」ことによって自分のストレスを減らすのです。  相手のためにゆるすのではなく自分のためにゆるすのです。  「ゆるす」には3つあります。「赦す」、「許す」、「恕す(恕する(じょする)と書くのが一般的)」です。 @「赦す」は、罪を赦す。恩赦という言葉もある。 A「許す」は、何かをすることを認める、許可する。(ちと上から目線) B「恕す」は、思いやりの心で罪や過ちをゆるす。 英語で表現すると、「赦す = excuse」、「許す = permit」、「恕す = forgive」となるとのこと。  もうお分かりと思いますが、自分のストレスを対処するためには「恕す」ゆるしが大切なのです。  中国が輩出した偉大なる思想家、哲学者である孔子の語録をまとめた「論語」の中には、「人間として一生行うべき道を一言でいえば、それは『恕』である。」(『論語』衛霊公)と書かれています。 「怒り」と「恕し」の字は良く似ていますが、心に気に食わない「奴」が乗っかって「怒る」。  自分も奴のようにふるまってしまうこともある、「奴亦如我=奴も自分も同じだ(如し)」と思えれば「恕せる」。  大体、怒っている時は、「自分は正しいのに、あいつはなんなんだ!」と思ってますね。つまり自分が正しさの基準です。  しかし、良く考えてみれば、例えば相手の立場になったら自分はどう行動するかを考えた時、ひょっとしたらその相手と同じようにしてしまう場合もあるのではないか、と立ち位置を変える事で「奴亦如我=奴も自分も同じだ(如し)」と思えれば「恕せる」ことも多々あるように感じます。  我々の愛するラフターヨガ(笑いヨガ)は、すべてを受け入れることを規範とした活動です。まさしく「恕し」の活動です。




第66号・H27年10月「歯は磨かない?」

「歯は磨かないでください」〜歯周病を治すと、全身が健康になる〜 豊山とえ子著、廣済堂出版、800円プラス税。 「歯は磨くものではなく、歯垢や歯石の原因となるバイ菌を取り除かなければいけない。」というのがこの本の内容です。「歯みがき」という言葉を使っているのは、日本くらいで、他の国では「プラークコントロール」なんだそうです。 僕は、以前よく口内炎ができ難儀していましたが、口の状態が悪いと気分が落ち込み、ちゃんと食べられないことで美味しさも半減していた経験があります。また30歳代の頃に歯医者から「歯周病になっているから歯磨きを注意すること!」と注意された経験があるのですが、そんなに深刻に考えず、特に何もしませんでした。 すると、50歳前、急に野菜、豆などがしっかり噛めない状態に陥り、医者に泣きついたところ、「ひどい歯周病だ!」と太鼓判を押されました。 ちょうどその時、1週間後に海外研修に行かねばならず、歯医者さんに「何とかする方法はないんですか?」と聞いたら、「ない!歯ブラシだけ!」とむげに言われました。当時は歯ぐきを磨けばいいんだという認識でやりました。とりあえず、進行は食い止めたもののその後一進一退を繰り返しておりました。 今から約5年前に仕事上、二本松市主催の歯科教室に携わって、そこで歯の手入れの仕方を教わり、知らなかったことが一杯あって驚きました。そしてそのやり方で実践したところ、口の状況が一変しました。 そんな自分の経験を基にこの本を読むと、納得できるところが多々ありました。 具体的な歯の手入れは、ブラシだけではだめで、歯間ブラシそしてフロスをうまく使って行なわなければ片手落ちなんだそうです。 またブラシも通常行われている横横縦縦の歯みがきではNG。歯垢が取れる様なブラシの当て方、ブラシの角を使うやり方でないと効果が少ない様です。皆さんもぜひ正しい歯の手入れ法を学んでみてください。 それでは、立って下顎を軽く横にずらして少し待っていてみてください。すると脚にかかる重心が変化するのを感じると思います。反対側に顎をずらしてみると、また重心が変わります。 つまり、下顎が正規の位置にないと体の重心が偏ってしまうということなのです。し たがって、歯のかみ合わせが悪いということは、顎がずれていることになり、身体の他の部分に影響が生じてしまう可能性があるということです。  皆さんは、左右の奥歯の咬み具合は均等に行われていますでしょうか? もし片側だけを使っているとするとそちらのアゴの筋肉が多用されるので、左右のアンバランスが生じ、下アゴはずれることになるのです。すると重心がずれ、膝や股関節、腰といったところに異常が出てくる可能性があるということですね。 恐るべし、口の健康!




第65号・H27年3月「ガンは味方?」

本「世にも美しい癌の治し方」、ムラキテルミ著を読みました。 著者は、テレビ通販の有名なバイヤーでテレビにも取り上げられたやり手女性です。 その著者の肝臓ガンが見つかった時には余命3ヶ月!他の病院で検査してもすべて同じ結果だったようです。 覚悟した著者は、身辺整理を始めました。本を片付けている時に、おでこに当たった本が石原結實医師のもので、それを読み返して、是非石原先生に診てもらいたいと思い連絡したところ、なんと予約は3年半待ちとのこと…時間がない。そこで調べたところ石原先生が指導している他の施設が見つかり、1ヶ月半待ちでの診察となったのです。 石原結實医師は、これまでに何冊もの本を出しており、基本的な考え方は身体を温めれば健康になるというものです。 石原先生は、「ガンは血液の汚れを改善するためにできた」と解釈し、血液の汚れが改善されれば、自ずからガンは消えるという考え方をしています。 その血液を汚す原因は二つだと述べています。@低体温、A食べ過ぎ。 そこで、著者が実行したのが、『DR.石原メソッド』、ニンジンジュースと生姜紅茶、そして一日1食の食事です。 結果的に、著者の肝臓ガンは13ヶ月で消滅しました。2009年に発覚してすでに6年が経過しています。 本の題名の「世にも美しい…」とは裏腹に、治癒の経緯は、壮絶、七転八倒だったようです。まず、ひどい下痢。一日中トイレの扉の横に居たと書かれています。これは排毒作用によるもので、著者は肝臓ガンにかかる前、相当量の各種薬を飲んでおり、体に溜まっていた毒が排泄されました。またひどい痛みにも襲われたとの事。心配になって石原先生に聞いたところ、石原医師曰く「痛みで死んだ人はいないから、タオルでも噛んでいなさい!」とのお答えだったそうな。ものすごい痛みと出血と伴に溜まっていた結石が排出されたエピソードも書かれています。 この本を読んで、やはり的確な指導者が必要だということを痛感しました。ひどい下痢、痛み、発熱などの症状が、治っていく過程であると言ってもらえれば、患者はがんばれます。 そして著者は余命3ヶ月のガンを克服しました。 血液を汚す二つの原因のうちの「食べ過ぎ」については、多くの人が耳が痛いはずです。最近の健康本に食事を減らすやり方がいっぱい紹介されています。食べることは、生きていく上での楽しみですが、やはり節度を持って…ということでしょうか。 体温に関しては、物理的に冷やさないことも重要ですが、大きな原因が薬です。薬は基本的に毒なので、体を冷やします。そして免疫力を下げてしまいます。 また前回のかわら版で「腸内環境の大切さ」を書きましたが、この腸内環境を悪化させるのも薬なんですね。腸内の必要な細菌までも殺してしまいます。 石原医師は「ガンを治すのはあなた自身です。」と言っています。




第64号・H27年2月「昔の常識は今の…」

近頃NHKテレビで「腸内フローラ」という番組がありました。腸内には膨大な数の細菌がおり、その菌による環境でその人の健康が左右されるという内容でした。 特に興味深い内容としては、臆病なマウスと活発なマウスの腸内環境を入れ替えると性格が変わるというものでした。 この5年間の間に腸の中の細菌の様子が急速に解明されてきており、医療においてこの分野が特に注目されているとのことでした。しかし、まだ解明されていない多くの細菌があるとのことでした。このように人間の体はまだまだ未解明の部分が多く存在します。今後の研究の成果を期待したいと思います。 次にパン好きの人には酷なお話ですが、書籍「いつものパンがあなたを殺す」という本がベストセラーになっています。 この本の主な内容は四つ。 @糖がタンパク質や脂質と結びついて脳に悪さをする物質を作る。 A小麦によるアレルギー、「グルテン過敏症候群」の人が居る。 B脳は70%が油でできているために良い油を摂取しなければならない。 C脳の30%はコレステロールでできているので下げ過ぎると認知症になりやすい。 @については、昨年からお知らせをしているように糖が血糖値を上げる唯一のものであり、現代人は炭水化物を含めて糖の取りすぎにより健康を害しているのです。脳は糖だけを栄養としているので炭水化物等をしっかり取らないと脳の働きが悪くなると信じられてきましたが、実は糖は体の中で他の物質から生産生成することができることが分かっています。現代人はとにかく糖の取りすぎだということです。 Aについては、いくら医者にかかっても症状がよくならない人の中に、この「グルテン過敏症候群」の人がいるということです。しかし現在はこのグルテン過敏症候群を的確に検査する方法がないので、まずは1週間小麦粉を抜く生活をしてみて、もし体調が良くなればこのグルテン過敏症候群だということがわかるそうです。小麦粉は炭水化物なので@にも関わってきます。 Bについては、しばらく前までよしとされていた油が実は脳にとってあまりよくないことが分かってきました。油を使う際にはプラスチック容器ではなく瓶詰めにされている油を使うのが良いそうです。認知症がココナッツオイルで改善した例が報告されています。 Cについては、これまでコレステロールを悪者扱いして、薬物などで下げてしまう人の中に認知症が多いというデータが出てきています。またつい最近アメリカ政府から、「食事でとるコレステロールは体において一切悪さをしない」という発表がありました。極端な食べ過ぎはやはり問題ですが、これまでのように卵は一日に1個までとかいう制限はあまり気にしなくて良いとのことです。 ちょっと前までは、「常識」とされていたことが、最近では「非常識」に変わってきているものが結構出てきています。基本的に「過ぎたるは及ばざるが如し」ですので何事も節度を持って臨むことが大切だと思われます。




第63号・H26年10月「薬は治してくれない!」

本の紹介です。 「薬剤師は薬を飲まない」、宇多川久美子著、健康人新書(廣済堂出版)、800円+税 著者は薬剤師だった人です。親族の健康問題から健康に関する仕事に就きたくて、薬剤師になり働いたのです。 しかし長年薬剤師をやっていてある日、『薬は病気を根本的に治すためのものでない』ことに気づきました。高血圧のお薬をもらいに来た人から、「これからはあなたと一生のお付き合いね!」と言われて、はたっと気づいたのだそうです。一生薬を飲み続けるということは治っていないことだと。 また著者は、自分自身がひどい腰痛を患っていました。鎮痛消炎剤が治してくれる薬ではないことは分かっていましたが、やはりそれに頼っていたのだそうです。もちろん腰痛は改善しませんでした。その時巷で流行っていたウォーキング法を頑張ってやることでこの長年付き合ってきた腰痛とおさらばできたのです。 そして結局、著者は長年勤めた薬剤師を辞めたのです。 薬は化学合成物ですから、プラスチックと同じで、プラスチックを粉にしても飲む人はいませんが、「薬」という名前がついていれば何の抵抗もなく飲む不思議さも書かれています。 また、この本の中で薬の働きについて下記のような面白い比喩を使っています。 「火事の時は、その火事の家に消防車が行き火に水をかけ消火する。しかし薬は、その患部だけを治すようにはできないので、全身を巡って働く。これは消防車が火事でないところまで行って一斉に水をかけることと同じ。結果家事の家の火は鎮火したとしても周りを見渡せば他の家も全部水がかかって水浸しになっている。これが副作用」と説明しています。 薬を飲んだことで、他の重篤な病気になってしまった例も紹介されています。 そして薬を飲むと、「体温が下がる」、「免疫力が下がる」、「酵素が減る」ことが紹介されてます。 これらが健康を害する大きな原因であることは、色々な方面で言われており、皆さんの耳に届いていると思われます。 「良い、治してくれる」と思って飲んでいるはずの薬が、かえって健康度を下げてしまうことを指摘しているのです。 この本ではありませんが、多くの人がほとんど何の抵抗もなく飲んでいる高血圧のための降圧剤がかえって脳梗塞を引き起こしやすくなるという事実を指摘している医師もいます。昔は、脳卒中のほとんどが血管が破れる脳出血だったので血圧を下げることは意味があったのだそうですが、この頃では、脳卒中のほとんどが血管が詰まる脳梗塞になってきているとの事で、薬で血圧を下げてしまうとこの梗塞がかえって起こりやすくなってしまうのだそうです。 薬の使い方は要注意です。気やすく使い過ぎてはいないでしょうか?




第62号・H26年7月「認知症は治らない!」

本の紹介です。 『治さなくてよい認知症』、上田諭(うえださとし)著、日本評論社。 まず、著者は「認知症は治らない!」と言っています。ここでの認知症はアルツハイマーの認知症です。 それを薬物などで治るように宣伝や告知しているのは間違いだと指摘しています。 著者は精神科医なのですが、認知症患者を取り扱う同業者が、実際に患者本人とどれだけ向き合っているのか?、単に家族の話だけあるいは画像などのデータだけで診断を下していないか?と問いかけしています。 著者の経験では、認知症が疑われる本人の前で、家族がその人の異常行動を医者にまくし立てている時、その人の「表情が消える」と書いています。 本人は、自分のこれまでと違ってきている行動について、ちゃんと認識しており、そして当惑、困惑しているところに、家族、知人からその異常行動を突き付けられ、叱られ、ののしられると、その事実を意図的に隠そうとしたり、あるときには逆切れしたりして暴力的になってしまうのだとか・・・。 そこで著者は、本人の今の気持ちをよく理解することが先決だ、と力説しています。 もし家族などに本人の様子を聞く際には、本人の居ないところで聞き取りをすべきだと指摘しているのです。 実際に、患者本人の気持ち、考え方、意見を聞き、尊重して、家族にそれに沿った対応をお願いし、実践してみると、その症状、困った異常行動が減るという事例のいくつかを紹介しています。 また、本人が多少の認知行動があったとしても、現状でできることを尊重して、見守っていくことがまず大事なことだと指摘します。何も、すべてできなくなっているわけではないのです。 また脳の画像データだけで診断を下してしまう場合があるようですが、実際に画像データではアルツハイマー様の脳になっているにもかかわらずに、認知症の症状が全く出ていない場合もあるとのことです。この話を読んで、「きんさん、ぎんさん」のぎんさんが亡くなったあとに脳を調べたらアルツハイマー様の脳であったことが報告されていたことを思い出しました。ぎんさんは認知症はありませんでした。 そして大切な点ですが、著者は、薬物は最後の手段だ!と書いています。 ところが現状は薬物がまず先に来てしまうことが多く、この投薬が逆に症状をさらに悪化させたりする事態があることを指摘しているのです。 この本を読むまでは、認知症の症状が出て来たら、なるべく早く薬を飲むことが良いと認識していましたので、これが大きな誤りであったことが理解できました。 今後高齢化がますます進む中、85歳以上の二人に一人は認知症になる時代と言われているのです。この本を読むと認知症そのものをよく理解していなかったことに気づかされます。是非多くの方々にお読みいただきたいと思います。




第61号・H26年5月「今を生きる!」

現在「うつ病」が問題になっています。企業でもこのうつ病によって休業を余儀なくされている人が増加しており社会問題にもなってきています。 「うつ」と聞くと、何やら元気がなくなってしまっている人をイメージしますが、実は逆で、心の中にエネルギーが有り余っている状態なのです。 しかしそのエネルギーというのは、「怒り」のエネルギーで煮えくり返っているのです。 人間の本質は「怒り」だという説があります。悲しみも怒りのひとつのパターン、また何かを欲しいという欲望も、現在「無い」ことに対する怒りなんだそうです。 怒りと言うとあまり良いイメージはありませんが、この「怒り、欲望」があるから人類はここまで進歩、発展できたとも考えられます。 したがって「怒り」は、誰にでも、どんな時にも発生するものなのですが、これが発散されることなく、内的に溜りに溜まって、どうにもならなくなった状態が「うつ」です。言い換えれば、怒りを適度に発散できない人がうつ病になりやすいようです。 怒りを発散できない人…それは「いい人」です。本来怒るところでも怒らない。傍から見るといい人なのです。でもその人の内部には、この怒りのエネルギーが蓄積されていくのです。 この「うつ病」の対処法として、「今を生きる」という考え方があります。うつの人は傾向として、過去のことを悔やむ、怒る傾向が強く、また逆に将来のこともいろいろ気を巡らして不安になっている場合が多いようです。 起こってしまって、もうどうしようもないことを、悔いたり怒ったりしても過去は変えられようがありません。また将来のことをいくら不安がっても自分ではコントロールできません。つまり過去に対しても将来に対しても、いくら時間をかけて思いを馳せても現状は何も変わらないばかりかもっと不安、怒りが蓄積していくということなのです。 「うつ」になるということは、現状に満足できていない訳ですが、その怒りのエネルギーが過去への悔やみ、愚痴、将来に対する不安にいくらつぎ込まれても、現状に対するアプローチはされていませんから、現状は変化なし。逆に怒りのエネルギーは増幅されてしまいます。つまり、何の解決にもならないということです。 そこで「今を生きる」ということです。具体的には、目の前、今やるべきことを自分の能力のできる範囲で行うということです。ただしこの時に行うことは、「やりたいこと」ではなく「やるべきこと」を優先させなければなりません。 今、やりたい、やりたくないは別として、自分の目の前にある「やるべきこと」に対して、全能全霊を傾ける、これが大切だという訳です。古来から言われている「一期一会」(Now and then)の精神です。 怒りが発散できなくて「うつ」になると書きましたが、この発散に有効なのが「笑い」なんだそうです。つくり笑いでも笑うことで、心に溜まっている怒りのエネルギー(うっぷん)が発散されます。「笑ってどうなる?」と考えずに笑うことです




第60号・H26年3月「細胞に酸素と栄養を!」

福島県が輩出した会津出身の世界的に有名なあの千円札の医学者・野口英世博士は、「細胞に酸素が十分行き渡っていれば病気にならない!」と言っています。 ちなみに、今や二人に一人がガンになる時代ですが、そのガン細胞は、酸素が嫌いなんだそうです。言い換えれば酸素が行き渡っていればガン、病気にならないということ。 もちろん、酸素だけでは細胞は働けません。適切な栄養も必要です。 さて、この酸素と栄養を細胞に送り込むための道具とは何でしょうか?そうです、血液です。血液が、酸素と栄養分を細胞に送り込みます。 では、この血液の流れ血流が悪い人は、ガンをはじめとする病気になりやすいでしょうか、なりにくいでしょうか?お分かりですよね。 体が冷えている人、血圧が高い人は血流が悪い。タバコを吸っている人は血管が収縮するので血流が悪い。特に冬場などに、家でじっとして動かない人も血流が悪くなりますね。 また、ストレスが多い人も血管が収縮するので血流が悪くなり、結果として種々の病気を発症しやすくなるわけです。 そこで、血流を良くするために意識的に体を動かすこと、「運動」が必要なわけです。 血流を改善する運動がウォーキングに代表される「有酸素運動」です。ここにちゃんと「有酸素」と入っていますね。細胞に酸素を送り込む運動なのです。 有酸素運動をすると血液のポンプ役、心肺機能が高まります。 人間には、もうひとつ血液の流れを良くするポンプがあります。それが筋肉です。 我々の体には、筋肉がありますが、特に下半身に3分の2の筋肉がついています。したがって、脚を動かすと、その部分の大きな筋肉が動き、血液を送り出すポンプ役をします。 地球には重力が働いていますので、心臓で送りだした血液は、下には行きやすいですが、上には戻りにくいのです。ここで下半身、脚を動かすと血流の戻りが良くなります。 そこで「脚は第2の心臓」と呼ばれているのです。 ところが少々運動不足が続きますと、ポンプ役である筋肉が弱く衰えてきます。筋肉が弱くなると、「かたく」なってきます。かたい筋肉では動きが制限されるために、動かしづらくなってきて、さらに筋肉は衰えていく、という悪循環に陥ります。 そこでこの悪循環から逃れるために、かたくなった筋肉をストレッチングなどで「ほぐし」、そして弱くなった筋肉を強化する「筋トレ、筋力アップ」が必要なのです。 血流を良くするためには、お風呂などで温める、マッサージをするというやり方もありますが、それはその時だけです。 筋肉がしっかりして、そして良い姿勢を心がければ、無意識でも筋肉が使われますから血流は悪くなることはありません。 ただし、運動のやり過ぎは体の中に悪さをする「活性酸素」を作ってしまうので要注意です。まあ皆さんがやり過ぎるなどとは、これっぽっちも考えられませんが…。




第59号・H26年2月「笑いと健康!」

福島県立医大医学部疫学講座教授で心療内科が専門の大平先生講演「笑いと健康〜笑ってストレス解消!生活習慣病予防!〜」の内容をご紹介します。 l 笑いは人間と高度なサルだけが行なう行動である。 l 動物、胎児、赤ちゃんの天使の笑顔は笑う声が伴っていないので笑いではない。 l 人間は生後8ヶ月位から声を出して笑う様になる。 l 笑いとは身体的な反応=行動なので変えることができる。 l 笑うと身体の多くの部分を使うので健康に関係する。 l 笑いの「ハヒフヘホ」のうち「ハ」が一番運動効果が高い。 l 「へ」笑いは口角が上がるので人相が良くなる。(女性に大切) l 大阪のおばちゃんは確かに他の地域のおばちゃんより笑っている。男性では差はなし。 l 若い人の方が高齢者より笑っている。顔は若く見えても笑い方が遅ければ以外に歳をとっているかも! l 大人は1日に平均17回しか笑っていない。1週間ほとんど笑わない人も結構いる。 l 笑っている人ほど認知症にかかりにくい。 l 笑っている人ほど糖尿病になりにくい。 l 笑い(落語)は関節リウマチに効果がある。 l 循環器疾患患者は対照群と比べると日常の笑いの頻度が少ない。 l うつはストレス(怒り)から起こるが、患者は怒りを発散することが出来ない。笑うことで改善する。 l 笑うとガンを抑える働きが見られる。 l 大きくなったガン、末期のガン患者の方でも積極的に笑うことで、(ガンが消えはしないものの)進行を抑制し、共存している事例が報告されている。 l アメリカのガン病院には必ず患者向けの笑いを紹介するコーナーがあり、書籍やビデオが置いてある。 l よく笑う人は野菜を多く食べ、人との交流が多い。 l 落語などの笑いより、ラフターヨガの方が効果が高い。 l 配偶者を選ぶ場合には「笑いのツボ」が同じ人を選んだほうが良い。(結婚前に喜劇映画を一緒に見て判断する。) などなど、とにかく笑いは健康に、そして人間関係にいいということです。逆に笑いが少ないと人間関係がうまくいかず笑いが一層少なくなるという悪循環に陥ってしまうとのことでした。 また健康に良い「笑い」と「歩く」を一緒にして「笑いながら歩く」のがいいそうな!




第58号・H25年10月「健康第一!」

とある市町村の健康運動教室での情報。 何か月間の教室実施で、体力、筋力向上の効果が出て無事終了し、その後継続のためのサークルが出来たのだそうです。 半年ほど経ち、その教室を指導したスタッフが様子を見に行ったところ、残念ながら参加者は教室実施時と比べて半分くらいになっていたとのこと。 そこでその指導スタッフが、継続している人たちと脱落してしまった人たちに、下記のようなアンケートを取ったのだそうです。 【アンケート】あなたが大切にしている順に番号をふってください。 @家族、Aお金、B健康、C愉しみ、D仕事(ボランティア) さて、あなたはどんな順番になったでしょうか? 面白いことに、このアンケートの一番大切にしているものの結果が、継続組と、脱落組でははっきりと違いが出たのだそうです。 さて、お分かりになりますでしょうか? 継続している人たちの一番は?そうですね、「健康」…はブッブーッ!不正解です。 なんと、脱落組の一番が「健康」だったとのこと。継続組の一番は、「愉しみ」だったのです。 つまり、自分の楽しみを実践するために、健康、体力、筋力が必要だから継続できている、という訳なのです。 ところが「健康」を第一と考えている人は、どうやら目標がぼけてしまい、具体的な継続の動機にならなかったようなのです。 この例で分かることは、「健康」を第一に挙げている人は、あれやこれややっているのですが、「健康」というあまりにも大きな概念を目標にしているために、かえって狙いがぼけてしまい、結局実行が伴わなくなっているのかもしれません。 そういう方は得てして、健康にいいと聞くとあれにもこれにも手を出す割には長続きせずに中途半端で終わってしまっているようです。上記の脱落組の様に。 そして、その健康第一の人の中には。「健康になれるんだったら、死んでもいい!」と言ってる人がいるのだそうな…。




第57号・H25年9月「価値がない生きがい!」

先日の休日、とある田舎の道の駅に立ち寄り、ベンチに腰かけていたところ、二匹のかわいい子犬をリードもつけずに引き連れて歩いてきた男性のご老人が、僕の近くに座りながら、「まったく、何を考えているんだか!うちの婆さんときた日にゃ、何が面白いのか、この近くでやっているウォーキング大会に参加しているんだ。家ではいつも『疲れた〜』とか言って動かないくせに、何の足しにもならないウォーキング大会に出る時だけは、意気揚々として行きやがる!」と周りにいる我々に聞こえる声で独り言。  これを聞いた時に、思いました。ああ、その人にとってはとても価値があることでも、他人から見れば何の価値もないことがあるんだなあ!と。  ラフターヨガの創始者Dr.マダンカタリアは言っています。条件付きの幸せ(Happiness)ではなくて、無条件に湧き上がってくる喜び(Joy)を大切にしなさいと。  お金が入ったから、美味しい物を食べたから幸せ。これが条件付きの幸せ。この幸せは、しばらくするとマヒしてきます。今美味しいと感じているものを毎日食べていたらどうなりますでしょうか?たぶん何日かしたら飽きてきます。  しかし、無条件の喜びは、誰が何と言おうとも自分の中から湧き上がってくるものですから、これは飽きることはありません。これがずっと続く、すなわち生きがいです。  ある高齢の女性は、自分は雑草取りが生きがいだと言っておりました。雑草取りをしている時が幸福感を感じるんだそうです。そういう人がお近くに居たらどんなにいいだろうと思いましたが…。その人にとって、普通なら、嫌々やる雑草取りが生きがいなんだそうです。  俗にいう「オタク」も、確かにその収集物、情報量など、驚くべきものがありますが、なんでそんな物を一生懸命集めるんだろう?と思う時が多々あります。でもその人にとっては、生きがい、喜びなんですね。 さて皆さんは、周りの人間が何と言おうとも、これが自分の喜びだ、生きがいだと胸を張って言えることがありますでしょうか? 基本的には、自分自身が喜びを感じ得るものなら何でもいいわけですが、これが、自分もうれしいが、他の人も喜びを感じてくれるようなものであったなら、これは素晴らしいと思います。 例えば、演じることが生きがいの役者さんの演技を見て、感動する。物づくりが生きがいの方が作ったものを使って喜びを感じる、などなど。 そういう生きがいですと、他の人の喜びも自分に還元されてきますから、喜びは倍増しますね。でも、まずは自分だけでもの喜びを持ちたいものです。僕の生きがいですか?アハハハハ!貴ジャレ!駄ジャレではなく貴ジャレ!高尚な一発が決まった時の爽快感、やめられませ〜ん。周りの人も喜んでくれるし!…えっ!喜ばないってか?




第56号・H25年7月「ガンは『心』で治す!」

本のご紹介です。「50歳を超えてもガンにならない生き方」土橋重隆著、講談社+α新書。2人に一人がガンになる時代。いつ何時自分がガンになってもおかしくないわけです。この本は、そのガンについてを、自分の「心」に焦点を当てて論じた本です。本の帯には、「ガンは『心』で治す!」とあります。 約15年ほど前にNHKで3話連続の「内なる治癒力」についての番組が放映されました。その中で紹介されていた話しが大きな衝撃でした。それは、ひとりの中年の女性がガンになり、ストレスの元であったご主人を許す気持ちが持てた時に、なんとそのガンが消滅したのです。その数年後、またご主人のことが気になりだした途端ガンが再発したのです。そしてまたご主人に対するストレスがなくなった時にガンも再び消滅したのです。この女性はガンを自分が作り出していることに気がついたという内容でした。 この本の著者は、内視鏡の達人で相当数のガン患者の手術をしてきたとのこと。しかし、ガン患者は減るどころか増える一方。著者は、できたガンを取っても根本治療になっていないことに気づき、ガン患者の駆け込み寺として有名な帯津三敬病院に勤務して、徹底的にガン患者に聞き込み調査をしました。 するとガンになった原因がガンを発症する前の生活状況に起因し、しかもそのストレスの種類に応じてガンになる場所がきれいに分類される事に気づいたのです。例えば、乳ガンのうち、左になった人は過労、右になった人は親族的なストレスなのだそうです。僕は、乳ガンになった知人などに聞いてみたところこの傾向は相当の確率で当たっていました。 したがって、ガンになっても、それまでの生活、考え方、心の在り方を変えれば治る可能性があると言っています。 この頃やり玉に挙がっている抗がん剤を屈指する西洋医学療法で良くなった人がいる反面、体にやさしいとされる代替療法をやっても駄目だった人もいます。著者の考え方を基本に考えてみると、西洋医学、代替療法あるいは放置療法でガンが治った、克服できた人は、意識的または無意識的に、そのガンになった原因、心の在り方が的確に変容した人であったと言えるのではないでしょうか。 逆に治らなかった人は、その治療法に依存してしまい、自分の考え方、心の在り方を含めての生活、生き方を変えられなかった人と言えるかもしれません。 つまり、ガンになる以前の生活、生き方を変える必要があるということです。いわゆる「ブレークスルー」です。その変容が意識的あるいは無意識的にできた人は、ガンに飲み込まれることなく、新たな人生、生活を送るようになります。ガンになるというのは当然のことながらストレスフルなハードな生活だったのですから、そこから脱却できた!ということは、楽な、たのしい生き方になった、ということになります。したがって、ガン克服者の言葉として多く聞かれるのが「ガンになってよかった!」という感想なのです。




第55号・H25年6月「常の意識が大切かと!」

 ある教室で、初めてお会いする、膝が開き、腰が曲がった77歳の女性の方が近づいて来て、僕にこう質問しました。  「私のこの開いてしまった膝は閉じるのかいねぇ?」と。 そこで僕は、「筋肉を鍛えれば、これ以上開かなくなるし、うまくすれば閉じてくる場合もありますよ!」と、具体的な体操のやり方もお教えしました。 その方は、フムフムとうなづきながら聞いておりましたが、その顔には、「本当かなぁ!?」という疑惑の表情が見てとれました。 するとこの女性が、「私の身近に、83歳の元教員だった女性が居るんだが、この人は腰がピシーッと伸びてそれはそれは良い姿勢で、私はこの人をお手本にしたいと思っているんですよ。」とおっしゃる。そして、更に・・・。 「この方は、若い時から腰が曲がらないように、いつも姿勢に気をつけて暮らしてきたと言っていました。」と。 そこで僕が、「そこなんですよ!その人はいつも姿勢を気にして生活してきたから、その姿勢を支える筋肉が弱くならずに、背すじが伸びているんです。つまり筋肉なんですね!」とお話しました。 「これまで姿勢にあまり意識せずに生活してきたために、膝が開き、腰が曲がってしまったんです。この弱くなってしまった筋肉をしっかりさせれば、改善の可能性はありますよ!」とお話したところ、少しは納得頂けたようでした。 僕は常々、腰曲がりなどの姿勢の悪化は、日頃の姿勢、特に座り姿勢で作られてしまうということを説明しています。 椅子の背もたれなどにもたれかかると、腰を支える天然のコルセットは使われずに、この時間が長くなればなるほど、その筋肉は弱体化していきます。天然のコルセットが弱くなれば、腰に負担がかかるようになり、腰痛を生じます。したがって、深刻な腰痛になる方は座業の人に多いのです。 お話に出てきた83歳の元教員の女性の方のように「常に意識している」ことの重要性がここにあります。 皆さん、「腰を丸めて座っていると楽なんだよねぇ!」とおっしゃいますが、そのつけが、腰曲がり、腰痛となって現われて来るのです。さて、今から・・・。




第54号・H25年3月「生きるということ」

今日は原発事故で避難を余儀なくされている双葉町の依頼で、町が役場を置いている埼玉県加須市に行き、デイサービスの高齢者11名とラフターヨガで笑ってまいりました。ここには、皆さんの記憶にあるように、廃校になっていた高校の校舎を利用しての仮設住宅もあります。今でも100名を超す方々がここに住んでいます。 ラフターヨガで約1時間楽しく笑った帰り際、参加者の方から、「住んでいるところを参考に是非見て行ってください!」と、お声かけいただき、剣道場の大部屋を見せていただきました。 最初の頃には、そこに60名くらいが住んでおり、一人当たり1畳程度の広さだったとか! 今は人数が少なくなり、おおむね一人6畳くらいのスペースが確保されていました。しかし、2年経った今でも、板の間に畳を敷き詰めて、お隣との境は段ボール紙。その光景には少なからず唖然とさせられました。 案内をしてくれた83歳の一人住まいの男性は、「これまでこちらの人たちにいっぱい応援してもらってきたので、今度は僕らが恩返しのつもりでこちらの人たちに元気を与えたい!」という思いから、自作の絵や詩を送ったり、歌を披露したりしているのだそうです。それをお聞きして、本当に頭が下がる思いでした。またその方は、今回のこの非難を通して「人の輪(和)の大切さ」を思い知ったと言っていました。 確かにここには、プライバシーもへったくれもありません。炊事だって満足にできません。でもその悪環境の中で、皆と交わり、そしてこれまでお世話になった人への恩返しをしたいとまで考えて行動しているのです。逆に、ちゃんとした?仮設住宅や借り上げ住宅に住んでいる人たちの中には、孤立化が深刻な問題になっていると聞きます。 「デス・エデュケーション(死の哲学)」で有名なアルフォンス・デーケン氏は、「死」を4つに分けています。「肉体的な死」、「心理的な死」、「社会的な死」、そして「文化的な死」の4つです。今回のこの男性は、確かにご自分の生を生きています。しかし、孤立が心配されている高齢者は、肉体的には死んでいないにしろ、残りの死を実践、体験していることになります。 先日講演会で、自殺には3つあるという話を聞きました。「絶対に助からない自殺」、「助かることもある自殺」、そして「ゆるやかな自殺」です。この最後の「ゆるやかな自殺」とは、体に悪いと分かっていながら吸っているタバコや食べ過ぎ、飲み過ぎ、そして運動不足などがそれに当たるとのこと。(耳が痛い人が居ますね!) 困難な状況の中、しっかりと生きている人が居る。一方、息をしている屍状態の人、はたまた、自分から生を断ち切る人、断ち切るとはいかないまでも明らかに寿命を縮める行為(ゆるやかな自殺)をしている人が居るという事実をよく考えなければなりません。



第53号・H25年1月「ガンは5年以内に日本から消える!」

本の紹介です。
「ガンは5年以内に日本から消える!」、統合医学医師の会 宗像久男、小林英男著、経済界新書
その衝撃的な題名に惹かれて読みました!「症状を抑える」と「原因を治す」治療で完治をめざすと書かれています。 大変わかりやすく書かれており、お勧めの一冊。印象に残ったところを、ご紹介しましょう。
@まずは、本の帯に書かれている、免疫の大御所である安保徹先生の推薦文。
「ガンは不治の病ではありません。この本には勇気と希望がいっぱい詰まっています!」
Aこの本で伝えたい大きな3つ。
ひとつめ「がんと言う病気は不治の病ではなく、治療法の選択さえ間違わなければ、治る病気である。」
2つめ「ガンに唯一の特効薬はないが、効果的な治療法の組み合わせがある。」
3つめ「治療法の選択は自分でできる。」
B著者の所属する「統合医学医師の会」の発起人である高原喜八郎先生の言葉。
「現代医学の壁にぶち当たり、絶望しきった患者さんたちが蘇生していく姿は厳粛である。絶体絶命の崖っぷちの中でさしこんでくる『イケル!』という希望は、治療のさらなる成果へとつながる。(中略)希望こそがガンと闘う武器なのだ。ガンに勝利した多くの症例という実績をバックボーンに希望という光を送る」
C会員の生存率が90%を超える会として有名な「いずみの会」の中山武会長の言葉。
「ガンは、本来治せる病気であったのだ。実は患者さん自身が自覚し、諸対策を実行継続することで治る事例は急増している。ガンはほかの病気と違って、社会病、常識病、全身病、その他いろいろの病名を持つ『総合病』であったのだ。それに理解を示したときからガンは治る病気となる。」
D安保徹先生によれば、ガンという病気の正体は、過酷な環境への細胞の適応反応であり、細胞の「先祖帰り現象」であると言います。
人にとって、つらく厳しい環境が長く続くと「低酸素」「低体温」「高血糖」の状態となり、その環境に対応するために、いくつかの細胞がご先祖様の頃の単細胞に戻るのです。それが遺伝子変異を起こして発生すると言われているガンなのです。働き過ぎや心の悩みなどによるストレスからくる「低酸素」と、運動不足や血流障害による「低体温」、そして栄養の偏りによる「高血糖」などがおもな原因で、細胞が一時的に先祖帰りするのがガンだという説です。
Eガン治療の鉄則(いますぐ医学会の常識は忘れてください。)
(1)免疫力を大きく下げすぎてしまう可能性が高いため、原則として「対症療法」と「対症療法」を組み合わせてはいけない。
(2)根本的な解決を図るため、「対症療法」だけをおこなってはならない。
(3)「原因療法」には3つのカテゴリ、「栄養」「温熱」「メンタル」があり、これらは必ず3つ全部を組み合わせなければならない。
F腫瘍崩壊症候群
一度に大量のガン細胞を破壊すると、ガン細胞中に存在する成分が血液中に大量に放出されて、血中のリンやカルシウム、カリウムや尿酸などが非常に高い値になります。そのため重篤な症状を引き起こし、最悪の場合は死に至る可能性もあります。治療効果の高いガン治療をおこなう場合には注意が必要です。
低体温を改善するためのお風呂を入りすぎるとこれが起こる可能性があるので要注意とのこと。心地よい程度に入浴時間をとどめておく。




第52号・H24年11月「メタボの次はロコモ!」

医療費のうなぎ上り状態を何とかすべく、お国は次々と健康施策を打ち出しています。前回は「メタボ」でした。このメタボは、メディアでも相当取り上げられたこと、そしてお腹周りについては皆さん意識が高いこともあって、効果が出たかどうかは別として、相当広い範囲で周知されたように思われます。 メタボは、それまで言われていた生活習慣病(高血圧、糖尿病、脂質異常)に内臓脂肪が加わると動脈硬化になる確率がど〜んと上がるよ!というものでした。「デブちゃん」は見た目だけでも何となく不健康だよなと思われますので、このメタボへの意識は比較的高かったように感じます。 そこでお国は、次の看板を挙げました。これが「ロコモティブシンドローム(ロコモ症候群)です。「ロコモティブ」とは「運動器の」という意味です。 「もしもし。ああ、お久しぶりです!」…これは「ドコモ」!天ぷらについているのは「ころも」。お間違えなきように。 簡単に言うと「筋肉が弱い状態で動くと、かえって動けなくなりますよ。」というものです。 子育てがひと段落して、運動不足を感じ、ママさんバレーに参加してジャンプしたとたんに、アキレス腱をブチッと切る…これロコモです。運動会で子供にいい恰好見せたいためにリレーでがんばったら、膝、腰がっくり…これもロコモです。 高齢者は、ほとんどロコモです。片足立ちをして、めまいなどがないのにふらつくのは、片足立ちをする筋肉(中臀筋)が弱体化しているのです。この状態で、動く活動「歩行」をすると、自分ではあまり感じないかもしれませんが、ふらつきながら歩くことになるのです。歩行は、片足立ちの連続なんですね。ふらつきながら歩くということは、転びやすいし、膝腰を痛めやすいということです。 筋肉には二つの役割があります。ひとつは「動かす」という役割。これは皆よく理解しています。もう一つの役割が「支える、姿勢を維持する」という役割。この支えることを筋肉が行っていることを我々はあまり感じていません。そこでこの支える筋肉(深層筋、インナーマッスル)が弱いままで動く活動、運動をしてしまうと、筋肉、関節を痛めて、動けなくなってしまう。これがロコモ症候群です。 高齢者はロコモです。今お国がなぜこれを出してきたか?それは、若年層にこのロコモ症状が多く見られるようになってきたからです。あなたは、ロコモではないですか?


第51号・H24年8月「逝き方は生き方!」

ベストセラー「大往生したけりゃ医療とかかわるな」、中村仁一著を読んで、在宅医師である長尾医師は自分の経験から具体的にどうすればよいかを紹介するために「『平穏死』10の条件」ブックマン社を書きました。 平穏死とは、よく言われる尊厳死と似たような意味です。平穏死が望みだと言っても、期待通りにはならない現実を紹介しています。 例えば、平穏死を望んでいた老人が、ある日のどに餅を詰まらせて、家族が救急車を呼んだために、最期は自分が望んだ死に方と真逆になってしまった事例が紹介されています。 こういうところを抑えておくといいですよという平穏死指南書みたいな本です。この本も本人、家族、皆に読んでいて欲しい本だと思います。 この本の中に「脱水は友」という言葉が紹介されています。脱水状態は良くないからと、点滴やらで水分を入れる行為によって、かえって腹水や胸水が溜まるという事態を引き起こし、結局苦しむことになると。脱水状態になるということは、もうそろそろ…という合図なんだそうです。そこで医療が介入すると苦しむ、大往生できない訳です。 死ぬときには、この脱水症状、飢餓状態、窒息状態にあるようですが、今生きている我々にとって、これらの状態は苦しいから避けたい!、と思ってしまいますが、どうやらこれが間違い。「大往生…」にも書かれていましたが、自然な経緯で脱水、飢餓、窒息状態になった場合、脳内に快楽ホルモンが出て、皆さん、安らかに気持ちよさそうにお亡くなりになるのだそうです。 先日、「窒息状態は最後は苦しくないそうですよ!」とお話をしたところ、女性の方が餅を詰まらせた人の餅を何とか掻き出して、事なきを得たが、なんとその詰まらせた人は「気持ち良かった!」と言っていたとのこと。 「平穏死…」の本では、特に何もせずに、本人も家族も思っていた通りの安らかな自然な死を迎えましたが、その後遠方の親戚から「見殺しにした!」と非難された事例も紹介されています。 さて皆さん、どんな最期を迎えたいでしょうか?「平穏死がいい!」と願っていても、簡単にはそうはいかない現実を知ることから始めなければなりません。 自分の「逝き方」を、しっかりと見据えることは、取りも直さず自分の「生き方」を把握すること、充実させることにつながるようです。



第50号・H24年6月「がんは生活習慣病

今や3人に一人はがんで亡くなる時代になりました。がんであってもその他の死因で亡くなる方もいますので、がんになる人は2人に一人と言われています。つまり目と目があった二人のうちどちらかががんになる、という訳ですから、いつ何時自分ががんになっても驚くようなことではありません。
まず、がんと言うとすぐに「死」をイメージしてうろたえる、というのがよくあるパターンです。でも人間誰しもが必ずやいつかは死ぬ訳ですから、ここは、「まあ、思っていたよりちと早くこの人生が終わるのか!」、という感じで受け入れましょう。ここでうろたえて、心配すると、ストレスが大きくなってしまい、免疫力が低下して、かえってがんが悪化する可能性が出てしまいます。
次に、考えたいこと、それは、なんでがんになったのか?ということです。我々の体には毎日約5千個のがん細胞ができていると言われています。ではなぜ全員ががんにならないのか?それは、がんの勢力よりも強い自然治癒力(免疫力)があるからです。ところが、生活習慣により、免疫力が低下するとがんが発現します。
がんになるような生活習慣とは何か?簡単に言えば、体を痛めつけるような行為です。食べ過ぎ、栄養素のアンバランス、酒、たばこ、過労、運動不足、そして精神的なストレスです。このような毎日の悪い行為が、体をいじめ、そして免疫力が低下してがんが出てくる。
このように考えると、がんになったということは、免疫力を低下させるような生活習慣があったということになります。言い換えれば、がんは、自分の生き方が悪しき生活習慣になっていることを教えてくれている、ということになります。
「がんになった」と言うと、「がん」という悪いものがはびこってきたみたいなイメージがありますが、実はがんの原因は、誰あろう自分自身にあるのだと自覚しましょう。
数多くの書籍などで、がんを克服した人の話が紹介されていますが、そのほとんどが、がんになる前の生活習慣や考え方、大きく言うと生き方を変えた人たちです。
したがって、よくあるがんの治療(手術、抗がん剤、放射線など)を施しても、その原因である体を痛めつけている生活習慣、ストレスを改善しない限り、またがんは再発したり他の場所に出たり(転移)することは容易に想像できます。
がんになったらどうするか?早急に、体を痛めつける要素がある生活習慣を改めること!そしてあとは、笑い飛ばすのがいいようですよ!



第49号・H24年4月「同じ対処法でいいのかな?」

我々には、持って生まれた「自然治癒力(免疫力)」というものが備わっています。悪さをする病気、細菌、ウィルス、怪我、毎日できているがん細胞などの「悪者」の強さよりも、この自然治癒力が上回っていれば、病気、怪我も治り、がんも発現しないことになります。(図1)  ところが、何らかの原因で、自然治癒力よりも「悪者」の力が勝ってしまいますと、病気、怪我は治らないし、がんも出てきてしまいます。
ここで考えたいことがあります。その悪者が勝ってしまった原因が何なのか?ということです。
 図2を見てください。左Aは、自然治癒力は衰えていませんが、悪者が強力になった場合。右Bは、悪者は増えていないのに、自然治癒力が下がってしまった場合です。どちらも、悪者が勝っていますので、病気、怪我は治らないし、がんは発現する状態です。左Aの場合には、悪者を退治すればいい訳で、手術で取り去ったり、薬でやっつけたりという、良く病院で行われる「治療」で対処すれば良さそうです。
 さて、お隣Bの場合に、Aと同じ対処法でいいのでしょうか?一時的に悪者を退治したとしても、自然治癒力が下がったままでは、しばらくすればまた同じことになることが予想されます。したがってこの場合には、自然治癒力をアップさせることを考えなければなりません。
 ところが、多くの場合、特に病気、がんになった時に、我々は「悪者退治」ばかりに気を取られていないでしょうか?自然治癒力を上げるためには、適切な「食事」「運動」「休養」が欠かせません。
 また免疫力を下げる一番の原因は「(精神的な)ストレス」であることが分かっています。特に「怒り」の感情が一番身体に良くないようです。「怒るな」と言っても、人間怒ることは多いですよね!そこでこっそり、良い方法を教えます。・・・「ニコッと笑う」、笑顔をつくる、笑うことです。

















第48号・H24年2月「沈黙は金!」

  平成24年2月1日、朝日新聞朝刊のローマ法王の記事、『沈黙は金』の要約。
『インターネットで答えを探したり、自ら発信したりするばかりでなく、より深く理解し合うために「沈黙」を大切にしよう。法王は「答えを探す多くの人」が検索エンジンやソーシャル・ネットワークを多用していることを指摘。「途切れることのない問いは、人々の落ち着かなさを表している。うわべだけの意見交換では人々は安らげない」とくぎを刺した。その上で「神は沈黙の中で語られる」と、言葉を介さないコミュニケーションの大切さを説いた。「沈黙の中でこそ、我々はよく聴き、よく理解できる。祈りや黙想の場を持つことを意識すべきだ」と呼びかけた。』
現代人は情報過多の中で、かえってその情報に振り回されてしまい、結果として自分自身を見失いがちになっている気がします。またその溢れている情報は、不安をかき立てる様なものばかりですね。
そこでローマ法が呼びかけるように「沈黙の時間」を持つことの重要性が出てきます。
沈黙の時間を持つということは、いわゆる瞑想するということです。この瞑想により、自分を見つめている自分(セルフ、真我)(※以下セルフと書く)が強化され、暴走しそうになった時にも、そのセルフがしっかりしていれば、己を失なうことはない、見失わない、ということなのだそうです。
先日、NHKためしてガッテン「不眠ストレス緊張撃退 1日15分!脳の簡単トレ」 の中でこのセルフにあたる脳の部分が「背内側前頭前野」という部位で、そこが混乱をきたすと、不安が増加して「不安症」や「うつ」になりやすいと説明していました。
その背内側前頭前野がへたる原因が、不安をお酒で紛らわしたり、あえてそのことを考えないで逃避することだそうです。逆にこれを強化する方法が、瞑想。
番組では、より具体的な手法として、出て来る不安や考えを葉っぱに乗せて川に流すイメージトレーニングと湧き出てくる考えの最後に「・・・と思った」と付け加えると良いということを紹介しておりました。
さて、ラフター(笑い)ヨガの中に「ラフター(笑い)瞑想」というアイテムがあります。
瞑想というのは、静かに座してするものというイメージが強かったので、この笑いながらする瞑想というのがどうもピンとこなかったのです。昨年12月インドから帰ってきて、Dr.カタリアからの宿題の「40日間、毎日30分間笑う」を実践してみて、笑っているときには、種々のことが頭にはないことに気づきました。あったとしてもすぐ消えてしまいます。考え続けることができません。つまり、笑うことは座して瞑想していることと同じだったのです。
Dr.カタリアがこのラフター瞑想が大切だと言っていた意味が腑に落ちました。




第47号・H23年12月「一言の重み」
 ある知人の女性が、ガンになり医者の勧めのまま抗がん剤治療を行いましたが、その副作用の強烈さに驚き、自らの意思で薬の使用を中止しました。3ヵ月後、検査に行くと、3時間待ちの後、主治医から、怒られ、脅かされ、その女性は、その医者からの言葉にとことん落ち込んでしまったのだそうです。この時、ガンは3ヶ月間変化無く、悪化していたわけではなかったのに…。
 怪我、病気で体調が悪いとき、やはりすがるのは医療です。この医療者からの一言は、大きな意味を持ちます。特に医師からの言葉は重みが有りますね。
 僕は、21歳のときに大きな交通事故をやり、右スネの骨が「くの字」に折れ曲がってしまいました。救急車で病院に運ばれた処置室で、様子を見に来た整形外科の部長さんが、僕の患部のレントゲン写真を見ながら、「う〜っむ、これなら大丈夫だ!」と大きな声で言いました。こういう事体は初めての経験でしたが、お医者さんがそう言うのなら大丈夫なんだろうなぁと感じた次第です。
 ところが、約3週間後、結局手術をすることになりまして、午後一番の手術のため、手術室の中でストレッチャーに仰向けに寝かされ、片腕は点滴、もう片方は血圧の腕帯が巻かれ、いわば「まな板のコイ」状態で、待っていました。
 すると、隣の手術室で執刀する医師が入ってまいりまして、「おーおー、ここは足の手術か!」と言いながら、僕のレントゲン写真を眺めていましたら、「こりゃー、ひでぇなあ!」と言うではありませんか!
 「えっ、僕の脚の状態はそんなにひどかったのかぁ〜?」と少なからずショックでした。しかし、すでにまな板の上のコイ。まあ、もうなるしかない!と気にしないことにしました。
 このお気楽医師が言ったこの言葉を、僕が事故直後、運び込まれた時に聞いていたら、きっと心配が異常に増幅していたに違いありません。部長さんの「大丈夫!」の一言があったからこそ、さほど心配すること無く乗り越えて来れたかなあと感じています。
 また、ある知人が、少し大きな病気をした時のことです。相当の間、身体を動かすことが不自由でしたが、だいぶ調子がよくなり、うれしくて動き過ぎてしまった後に、また調子が悪くなってしまいました。
主治医から「さぞかし叱られるだろうなあ!」と覚悟をして診察を受けますと、その主治医は、「動き過ぎることができるくらい良くなってきたんだねぇ!」と言ったのだそうです。先に上げた、怒り、脅す医者とはまったく違いますなぁ。
すがる対象として大きな存在のお医者さんの例を挙げましたが、人から発せられる言葉には重みがあります。少なくとも、言った人が、落ち込んでしまうような言葉は使わないようにしたいものですね。できれば、その言葉に、励まされ、勇気づけられるような言葉がかけられるようになりたいと思います。




第46号・H23年9月「ただ恐れるは逆効果!」

 今回の震災から派生した原発事故による放射線問題。放射線が見えないだけにその恐怖は増長されています。多くの方が、この放射線の影響を気にしています。
 今回は、この放射線の影響について整理してみたいと思います。
 まず初めに、今回福島で起こっているような長期にわたる低放射線による人体、自然に対する影響は、世界全体で見ても、これまでに例が無いため誰にも分からないということです。
 したがって、どのレベルなら安全なのか、または危険なのかは誰にも分かりません。この影響が明確になるのは30年後です。したがって今現在、専門家をはじめとして言われていることはあくまでも「仮説」になります。これから述べることも、「・・・ではなかろうか?」という仮説であることをご承知おきくださいな。
 さて放射線の生体に対する影響は、「電離作用」でこれによって活性酸素が生じます。活性酸素は量が多くなると細胞に悪さをします。その結果、ガンが発生するとされています。
 つまり放射線が直接ガンを発生させるのではなく、放射線→活性酸素→ガンという経路をたどるわけです。放射線ヨウ素は甲状腺にたまり易いために、そこで活性酸素が多くなり甲状腺にガンができやすくなるという図式です。
 この活性酸素は、放射線だけでなく、強度の運動やそしてストレスでも発生します。したがって、放射線の恐怖に闇雲におびえ、それがストレスになり活性酸素を発生させてしまうといったことが起きます。
 食物による内部被爆の防止や自分たちでできる除染はやっていくにしても、今現在住んでいるところを離れない、離れられないのであれば、放射線による影響を精神的なストレスにしない方が得策です。
 放射線が極端に強い場合の生体への悪影響は、原爆などの過去の事例を通じてある手一度分かっています。しかし低放射線の場合には、逆に生体に対してよい影響を及ぼすようだと言う事例があります。例えばガン治癒で有名な秋田の玉川温泉での放射線量は2〜7マイクロシーベルト毎時と言われています。
 低放射線であっても活性酸素は発生します。しかしその量が低度の場合、生体には元に戻そうという働き、いわゆる自然治癒力がかえって活性化し、悪いところが治るという仕組みです。これが「ホルミシス効果」と呼ばれているものです。よく聞くラジウム、ラドン温泉も同じ類です。
 したがって、もしかすると、現在の低放射線環境は、我々に対して良い影響を与えるか・も・しれないのですね。
 もう一度言いますが、その悪影響を過度に怖れると、それがストレスになり活性酸素が発生してしまいます。そうなると、放射線の影響かどうかは分からなくなってしまいます。
 毎日健康になれる温泉に行っていると思いながら過ごした方がいいかも?



第45号・H23年7月「やれば出る効果!」

 中高年のみならず出産後の女性の方で尿漏れにお悩みの方が数多くいらっしゃいます。
 尿漏れと言うと、女性の尿漏れは有名で、今やテレビのCMで堂々と尿漏れパッドなるものの宣伝もやっているくらいです。
 しかし、実のところ男性でもこの尿漏れでお悩みの方が結構いらっしゃるのです。この問題は男女問わず、話題にも上らず、また悩んでも他人にはほとんど相談することが少ないのです。
 症状がひどくなると、外出ができなくなり、いわゆる「閉じこもり」の原因になります。
 尿漏れの一つの原因は、右図の女性の骨盤底筋の膣と尿道口を取り囲んでいる筋肉が不活性化、弱体化して起こります。(他の原因もあります。)
 この筋肉が弱くなって尿漏れが起きているのであれば、どうすればいいのでしょうか?そうです!この筋肉を鍛えて強くすれば良いのです。
 さて、試してみましょう。まずは、後ろ側の肛門を締めるようにしてみてください。こちらはまだしっかりしてますね?
 次に、おしっこを止めるように前側の筋肉を締めてみましょう!いかがでしょうか?後ろに比べると確実に弱いのが実感できるのではないでしょうか?だから、漏れるのです。
 筋肉を強くするためには、目標とする筋肉(この場合は骨盤底の前側の筋肉)に力を入れて収縮させて刺激してあげればいいのですが、はてさて、動かそうと思っても?????。
 そこで少々工夫しましょう。筋肉は横並びで協力し合う性質がありますから、意識して動かせる後ろ側を締めたままで、前側を、おしっこを止めるように締めてみてください。おそらく締まる感じが分かりやすいと思います。
 「後ろ締めて、前締めて、前緩めて、後ろ緩める」これを繰り返しやってみましょう。回数はちょっとやった感じがする程度から始めましょう。これまで多くの高齢者に実施して、多くの方が1〜2ヶ月で効果が出ています。
介護予防教室に参加した66歳の男性は、約1年前に、前立腺がんの手術を受けました。その後から、おしっこが垂れ流し状態となり、尿漏れパンツを1日中使用しなければならなくなりました。ところが教室に参加して、この骨盤底筋の筋力アップをやったところ、3か月で、日中のコントロールができるようになり、6ヶ月後には夜も漏れることがなくなり、もう尿漏れパンツを使わなくてもよくなったと嬉しそうに報告してくれました。
尿と放射線は漏れないようにしていきたいと思います。



第44号・H23年4月「想定外!」

 今回の東日本大震災は、まさに「想定外」のできごとでした。
 世界でも有名な防波堤も、あの津波の前には無力であったばかりでなく、その安全を信じていた人は逃げ遅れて被災してしまいました。
 また現在まだ予断を許さない状態である福島第一原発も、想定外の津波の威力に破壊され、コントロール不能状態に陥ってしまいました。ラジオのキャスターがその昔、原発見学に行って、「万が一の時にはどうするんですか?」と質問したら、担当者は、「この原発に限っては、万が一はあり得ません!」と答えたとか。その過信が今回の事態を招いたと言っても過言ではありません。電気をつくる所に、電気がない!状態になったわけですから…。まさしく想定外。
 しかし、担当者は「想定外」で、何とか非難をかわそうとしていますが、その後出て来る情報によると、津波に関しても、建物の構造上の問題に対しても専門家はその危険性を指摘していたと言うではありませんか。何故やらなかったのか?結局、経済的な問題で無視されたのです。そして、その「起こるはずのないこと」が起きてしまったということですね。
 かと思いきや、その昔、津波の被害にあった町で、防波堤などの物理的な対策がとれない地区では、避難訓練を頻繁に行い、例えば寝たきりの人でも、想定される時間内に安全な場所に避難できるよう準備しており、結果として、今回は、ひとりの犠牲者も出さなかったとのこと。つまり想定していたのです。備えあれば憂いなし。
 今回の震災では、津波の怖さを思い知らされました。鉄、コンクリートの頑丈なはずの建造物も、赤子の手をひねるがごとく捻じ曲げられてしまいました。想定外でした。
 震災当日の午前中、プールで水中ウォーキングの指導をしました。その時になぜか、「強い地震でプールの水が外に飛び出てしまう事があるんですよ!」という話をしたのでした。今思えば不思議です。そのプールに2日後に行ってみると、やはりプールの水が30センチほど減っていました。プールの横にあるコーチ室などが水浸しになったそうです。
 地震による揺れの被害では、家財道具など残る物がありますが、津波ではそれこそ根こそぎ失われてしまいました。
命からがら非難した方々は、避難所で、暖もない中、縮こまっている様子がテレビで放映されていました。この避難所では、中越地震の時に有名になった「エコノミー症候群」が発生する危険性が指摘され、今回はその教訓を基に、各避難所ではラジオ体操などが積極的に取り入れられました。何としても二次被害は避けたいものです。
 今後、大事になってくるのが心のケアだと言われています。気丈にふるまっている、特に子供たちに、徐々にその影響が出てきます。心に刻み込まれてしまった恐怖、緊張を取り除くべく、心の面から、また同時に体の面からのアプローチが必要です。身体的には深部の自分では自覚できない緊張を取り除く「ほぐし」を充分に行なうことが大切となります。




第43号・H23年1月「明日は我が身!」

 あなたの身の回りに、ちょっと前まで元気だったのに、ぽっくりと亡くなってしまった、と言う方いらっしゃいませんか?
 そんな時、あなたは「明日は我が身か!」と思ったことありませんでしょうか?そう、明日は我が身なのです。
 誰も自分の寿命は予測できません。でもいつか終わりが来る。…となると何やら準備することがあるのではないか?
 このところ、教室参加者にご自分の「遺影」を用意してあるかどうか聞いています。自分自身のお葬式の際に置かれる遺影はどんな顔のものがいいでしょうか?適当な写真がないときには、絵で描いたり、団体旅行に写っている小さな顔を引きのばし、服は合成でといったものになってしまいますが、それでいいのか?
 自分らしい「いい顔」の写真を飾って欲しいのなら、用意しておかねばなりませんな。中にはもうすでに、そういう写真を選んで用意してあるという方もいらっしゃいます。
 では、まだ準備していない方々はいつその写真を用意するのか?
 皆さん、「そのうちにね!」とおっしゃいます…が、明日は我が身なのですよね。
 …と、なると「そのうち」もないかもしれません。そこで、いつ何どき用意、準備すべきかと言えば、そう、元気な「今」ということになるのです。
 これについては、やりたいこと、会っておきたい人、行っておきたい場所などがある場合も同じで、「そのうちに!」と思っていても、ひょっとしたら「そのうち」は、ないのかもしれませんから、そう、今、なるべく先送りしないでやっておくことが必要となるわけです。なんたって、「明日は我が身」なんですから。
 その他、延命処置はどうするのか?臓器提供は?遺産は?お墓は?葬式は?戒名は?などなど、本人つまり自分がしっかりしているうちに取りきめておかねばならないことがあるのです。
 この問題は、自分ひとりだけの問題ではなく、家族、身内、周囲の人が関わってくる事柄なのですが、はてさて、誰が口火を切って言い出すのでしょうか?
 目下の者、例えば子供が親に向かって、これについて聞くことは、ちょっと難しいですね。…となると誰が言い出すのか?そう、目上の者(親)が、自分のことについて家族に問いかけをするのが一番自然です。
 いつその話を家族と話しますか?今、元気な時です。「明日は我が身」ですから。
 そして、大事なことは、それらを明確にしてから、「その時」が来るまでを楽しく、充実して生きること。
さてあなたは、明日と言わず、今その時が来ても後悔すること無く逝けますでしょうか?




第42号・H22年10月「中からほぐす笑い」

前々回の第40号で紹介した「ラフターヨガ」。この「ラフターヨガ」の特徴は、「理由なく笑う(Laugh with no reason!)」ことです。
特に面白いことがなくても、エクササイズ(運動)として笑うのです。当研究所でこのラフターヨガを推進している理由は「運動法」だからです。
運動としての歩きは「ウォーキング」です。このウォーキングは歩くことそのものが目的です。歩いて○○で行くという手段としてではなく、「運動」として行なわれます。
これと同じで「ラフターヨガ」も、「面白いから笑う」のではなく、運動法・健康法としてただ笑うのです。面白いことをして、見て、聞いて笑うのは、当たり前ですし、そのための材料が必要です。しかし、その材料、理由なしに笑うということは、いつ何時、どんな状況でもできるということです。
運動というと、身体を動かす行動として、外側を通常よりたくさん「動かす」行為を言っていましたが、近年、身体の深部で支える筋肉、深層筋(インナーマッスル)が着目され、そんなに大きく動かなくても、深層筋が刺激され活性化することが分かってきました。特にこの深層筋は、姿勢に関わる筋肉なので、腰痛や肩こりといった世の中で多くみられる不快症状に深く関係しています。また、超高齢化社会を迎えている日本で問題となっている高齢者の老化現象もこの深層筋が原因であることが分かってきています。
これら外側(表層筋)そして内側(深層筋)を運動で意識的に動かして、鍛えたり、ほぐしたりすることが大切です。
 身体には、もうひとつ内臓などの「内部」があります。ここも意識的に動かさないと不活性化していき、不健康になることは容易に察することができます。
 ここへの働きかけを「呼吸法」という形で行ってきましたが、この「ラフターヨガ」は「笑う」という手段を利用した、まさしく「呼吸法」なのです。
 通常呼吸法は、座ったりして静かな状態で行なうものが一般的ですが、この「ラフターヨガ」は、動きながら笑うので、外側、内側の筋肉も刺激しながら、同時に内部からも刺激、活性化させるという優れものなのです。
 内側の深層筋は、自分で動かしている意識が希薄な筋肉なので、刺激するのが少々難しいのですが、これまで外側(表層筋)側からの働きかけだったのが、「ラフターヨガ」のように内部からも働きかけをすることによって、一層活性化が図られるのだと考えられます。
 百聞は一見に如かず!まずは問題がない場所で、10秒ほど笑ってみてくださいな。身体の中から温まるのが実感できるはずです。




第41号・H22年8月「千の風になって…」

生を受けて半世紀ほども生きていると、周りの知っている人が次第に居なく(亡く)なっていきます。
お釈迦さまも避けられないものとして「生老病死」を挙げていますが、生きているものすべて必ず終わりが来ます。これは、もう、どうあがいても必ず体験しなければならない現象です。周りの親しい人が亡くなる時に、この「死」というものを強く意識します。
まだ、死なんぞ全く意識していない、或いは死はなるべく遠ざけておきたいものという考えの40歳代初めの頃、かの大ベストセラー、永 六輔著「大往生」を読みました。そのまえがきに、寺山 修司の「生が終わって死が始まるのではない。生が終われば死もまた終わってしまうのだ」という言葉が紹介されており、衝撃を感じました。「ああ、生と死は一体何だ。」…と。
ちょうどその頃、テレビで「死をコーディネートする人」の話題が放映されました。これは葬儀屋ではなく、生きているうちに本人とどのように死を迎えて様々なことをいかに取り計らうかを決めて(契約して)、時が来た時にはそれを着実に実行する仕事なのです。もちろん葬式のやり方なども含まれています。
そのプロの方が最後に言った言葉が胸に響きました。「当初、この仕事を始めた時に、こと細かく取り決めした際に、おそらくこの契約者は『これで安心して死ねる!』と言うんだろうなと思っていたが、いざやってみると一人としてそのように言った人はなく、皆『これで安心して生・き・ら・れ・る!』と言うのだと…。
これを聞いた時に、はたと思いました。表裏一体の生と死。この一方(死)を忌み嫌ってあやふやにしていたら、もう一方の執着している生も不明瞭になってしまうのだと。
先日知人が、故人のお参りに関して面白いことを言っておりました。「よく、家の仏壇に手を合わせて、『これからお墓にお参りに行ってくるからね!』と言って、お墓でお参りし、戻ってきてまた仏壇に向かって『今お墓参りしてきたからね!』と何気なく口にしているが、良く考えてみると、『それではお墓に居るのは誰?』ってことにならない?」
きっと、「お墓に行って来るね!」と聞くと、かの故人は、だーっとお墓に飛んで?行き、お墓参りが済むとまた先回りして家に戻って、何気ない顔でその報告を聞いているのでしょうかね?
「輪廻転生」のひとつの考え方では、その時の肉体は死を迎えて滅んでも魂(霊)は残る。しかし前の肉体を離れた瞬間にその時生きていた記憶は亡くなるとか。言い換えれば大自然に戻るのだそうです。大海の波が岩に砕け散って、「波」は無くなりますが、その波は元の大海の一部として存在するのです。つまり死は終わりではなく、単に「戻る」現象、元居た所に戻る出来ごとなのですね。
そしてある魂は、千の風になって自由きままに吹き渡るのでしょう。




第40号・H22年6月「笑いで免疫力アップ!」

前回では、「怒ること」のマイナス面を書きましたが、今回は「笑うこと」のメリットです。
「笑いの免疫学」 船瀬俊介著、花伝社 の中では、笑うことの素晴らしさを、古今東西の事実や科学的な研究を紹介しながら述べています。
「ホッホハハハ、ホッホハハ…」。いい大人がグループで、手拍子しながらこの「ホッホハハハ」を言いながら動きまわり、挙句の果ては、子供のように「イェーィ」と叫び声を上げる。…こんな風景をテレビでご覧になった方がいると思います。
これは1995年にインドのムンバイ(昔のボンベイ)の内科医カタリア先生が開発した、笑いとヨガの呼吸法をドッキングさせた「ラフターヨガ(笑いヨガ)」と呼ばれているものなのです。
「笑い」が健康に良い、免疫力をアップさせることはよく知られています。ガン患者の会が落語家などを呼んで笑う会を開催している話はよく聞きます。この効果については、すでに科学的、医学的に証明されています。
ドクターカタリアもこの点に注目して、近くの公園で有志を集めて笑う会を始めたのだそうです。しかし当初、ユーモアやジョークを言って笑っていたのですが、そのうちネタが尽きてきて、人の欠点や間違いなどを笑う様になったとのこと。こうなってきた時点で、「こういう笑いは嫌だ」と、参加者が一人二人と抜けてしまったのだそうです。
そこでドクターカタリアは、さまざまな文献を必死に調べ(ここが名を挙げる人と凡人の違い!)、「脳は本物の笑いとつくり笑いとを区別できない」という事実を見つけたのです。言い換えれば、つくり笑いでも免疫力はアップするということです。
またこの時、カタリア先生の奥さんがヨーガの先生だったので、その奥さんの助言を得て、つくり笑いとヨガの呼吸法を組み合わせた、ユニークな「ラフターヨガ」を構築しました。
よく他人があくびをしているのを見てつられたり、「もらい泣き」というように他人が泣いているのを見て一緒に泣いてしまうという現象を体験します。これは、脳の中の「ミラーニューロン」という真似する細胞の働きなんだそうですが、このラフターヨガもグループでやることによって、最初は単なるつくり笑いでも、人の笑っている姿、顔を見ていると、本当におかしくなってくるということが起こります。
先日このラフターヨガを紹介したところ、50歳前の女性が「家の事情で、この2〜3年笑ったことがなく、今日は久しぶりに笑って気持ちよかったです。」と言っていましたので、「つくり笑いでいいので家でもやってみて下さい!」と提案しましたが、彼女は真顔で「そんな状況ではないんです…。」と。これが本当の「笑えない状況」なんですね。悲惨です。
でも、それでも、「笑う門には福が来る」と言いますから、まずはつくり笑いでもいいですから、ワッハッハと笑ってみましょう!…いや、一人ではやらない方がいいかも!?




第39号・H22年3月「怒りは損気」

人にはいろいろな感情があります。ヨーガでは人間を10頭立ての馬車に例えています。各馬がそれぞれに固有の性質(感情)を持っており、その10頭分の手綱を御者が握って、上手にそれらの馬をコントロール、操作して行きたい方向に進んで行くというイメージです。
俗に「喜怒哀楽」と言われていますが、それらの感情の中で一番良くないものが「怒り」です。「怒り」のイメージは回りのもの全てを燃やしつくす炎です。その炎は回りのものだけでなく間違いなく自分自身をも燃やす、つまり破壊していきます。
感情によって自分の健康度、言い換えれば免疫力が低下することはよく知られていますが、この「怒り」はその最たるものです。いつも「ムカツク」「キレる」または「頭にきている」人は、本人決して楽しくないし、身体もいい状態ではありません。
処世訓として「自分がされて嫌だと感じることを他人にはしない」というものがあります。さて、皆さんはお友達あるいはお近くに怒りまくっている人が居たとしたらどうでしょうか?あなたは心穏やかで居られますか?僕ならそういう類いの人とはお友達になりたくありませんなあ。…ということは自分も怒らないようにしなければならないということです。 
本の紹介です。
『怒らないこと』、アルボムッレ・スマナサーラ著、サンガ新書、700円+税
この本には、「怒り」がいかに損を招き、またどうすれば怒らないようにできるか等が、分かり易く書かれています。
著者は、生じてきた「怒り」をうまく処理する方法(例えばストレス発散法)を考えるより、根本的に「怒らない」ことを勧めています。そのための秘策は「ゆるし(赦し)」だと言っています。
また「怒り」は自我から生じているとのこと。人は無意識に「自分は正しい」という思いを持ってしまうために、それにそぐわない他人の行動や考え方に対して「怒り」を抱いてしまうのだそうです。その人に「あなたは完璧ですか?」と聞くと、「いえいえ、そんなことはありません!」と謙虚に答えるのだそうです。
著者はスリランカの仏僧ですので、仏陀の話しが随所に出てきます。
僕のインド体験。とある駅から指定席の列車に乗って来たインド人が、自分が予約してある指定席に他の人が座っていたので、切符を見せながら自分の席であることを相手に告げます。日本だったらその座っていた人は立ち去りますね。ところが何回かの言葉のやり取りの後、座っていた人が少し横にずれてできたスペースに、本来座る権利がある人が逆にすまなそうに横がけで座ったのです。その後両名とも何事もなかったかのように旅を続けました。
日本人、いや僕なら怒りますよ、残念ながら。何せ自分が事前に予約して確保した席なのですから座る権利を主張するのが当たり前なんですからねぇ…。
「さすが仏陀を輩出した国の人は違うなあ!」と、感心した次第であります。




第38号・H21年12月「主体は誰?」

腰痛の大きな原因のひとつは、腰部を支えている筋肉が弱くなることです。腰周りを締める力が弱いために、腰の筋肉、骨、関節および椎間板などに過度の力が加わり種々の腰痛が発生します。そこで腰痛持ちの人は、医者からもらってきたコルセットを巻きますね。本来天然のコルセットである腰周りの筋肉の代わりに人工的に締めてあげるわけです。
多くの方は、この人工のコルセットをつけると腰痛が楽になり、「治った!」と考えてしまいますが、はて、本当に治ったと言えるのでしょうか?
そのコルセットで一時的に症状が改善しても、その腰痛の原因、つまり腰周りを支える筋肉の弱体化がそのままであれば、また同じ腰痛が起こってしまいます。そればかりでなく、人工のコルセットに頼ると言うことは、本来自分が持っている天然のコルセット(腰部の支える筋肉)を使わなくて済むので、結果としてますます筋肉は弱くなってしまいます。
つらいときにちょっと助けてもらうくらいの使い方であれば問題ないのですが、それに頼り切ってしまうことが問題です。
腰の前部の「おなか」について見てみましょう。お腹がせり出てくるというのは、脂肪が付き過ぎていることと、腹筋が弱くなっていることが原因です。お腹に脂肪が付く人は、もちろん運動不足ですから、当然のことながら腹筋は弱い状態にあります。このお腹ぽっちゃりの方の目が向く先は…通信販売のお腹をしめる下着!
この大枚をはたいて購入した「締め付け下着」を着ている時だけは、きっと「ナイスバディ」になっていることでしょうが、その下着に頼ってしまっている本来のお腹を締める筋肉はブヨブヨのまま。下着を脱ぐときに「目をそらさないでください!」…ぼよよ〜ん!
文庫本、「9割の病気は自分で治せる」岡本裕著、中経出版には、題名のように、「9割の病気は自分の努力次第で治すことができる」と書かれています。本当に医療の力が必要な病気および医療が関わっても治すことができない病気が残りの2割だとか。
この本で取り上げられているのが、いわゆる生活習慣病と言われている、高血圧、コレステロールなどの脂質異常、糖尿病。検査でこれらの項目が基準値を超えると医療で処方されるのがお薬。しかしこれが問題であると著者は指摘しています。
本来人間には、血圧、脂質値、血糖値をコントロールする機能がありますが、生活習慣の乱れによってこれらの機能が低下するとそれぞれの症状が出てきてしまいます。そこで、薬を使用して単にこの値だけを基準値に戻して、安心しがちです。しかし原因である食習慣、運動習慣、ストレスなどの生活習慣を改めることなくそのまま生活を続けると、薬がそれぞれの値をコントロールしてくれるので、本来持っているコントロール機能は、働く必要がなくなりかえってその機能は悪くなってしまいます。このことを考えずに薬を飲み続ける患者のことを、この本の著者は、「おいしい患者」と呼んでいるのです。




第37号・H21年9月「かばい過ぎも問題!」

先日終了した、2週間に1回ずつ約3ヶ月間の体操教室に参加した女性から寄せられた感想です。この女性は数年前に両股関節の手術をしており、障害者認定を受けていました。
「私は、身体障害者であることを自覚し過ぎていたと思いました。この体操教室を通して自分に自信が持てました。」
この教室で実施した体操は、90歳過ぎの高齢者でもできるような、体に無理のない体操でした。高齢者が主で、皆少なからずあちらこちら悪いところをお持ちの方ばかりでした。そのような方々に、現状維持、できれば多少の改善を目標とした教室でした。
この方は、手術をして、障害者認定をもらい、その後「障害者だから動けない、動けなくて当然。動かさない方がよい。」と思い込んでいたようです。
おそらく教室の最初は恐る恐るだったと思いますが、動きも小さく、ゆっくりで負担が少ない体操が主ですから徐々に覚えながら、家でも実践していただいたようです。
その結果、自分ではどうしようもないと思っていた症状が、若干ながらも改善したことで、上記感想が出たものと思われます。言い方を変えれば、「あきらめていたものが実は自分でも何とかなるのだ。」ということが分かった、と言うことです。
何らかの開腹手術を行った方で、腹筋が極度に弱い方が時々いらっしゃいます。これは、開腹手術をしたために、回復後もその部分をかばい、動かさないようにしていたために、腹筋が弱くなってしまったのです。いつ手術をしたのか聞くと、十数年前とか。気持ち的には理解できるのですが、医師から普通の生活の戻っていいと言われたのなら、もう「かばう」必要はないはずなのに、大事にし過ぎて、筋肉は使われないためにいわゆる「廃用性症候群」となり、べろべろ状態になってしまいます。
腹筋が弱くなれば腰、お腹が守れなくなりますから、腰痛や内臓下垂などの症状が出てしまいます。そこで腹筋の筋力アップを勧めるのですが、本人は「無意識」に怖がってしまい、あまりやっていただけないことが多く見受けられます。
筋力アップを含めた体操をやって、その場ですぐその効果が実感できるのであれば、おそらくそれまでの思い込みを払しょくして、チャレンジしていただけるのだと思いますが、残念ながら、そうはいきません。
やはり少なくとも2週間、通常1カ月程度で効果が現われてきますから、その間はなんとしても継続しなければなりません。しかし多くの場合、はなからやらないか、始めても効果が出る前に止めてしまうことが多いようです。動かしていないところを動かし始めると、なんとなくいつもと違う「違和感」が出てくるので、引いてしまうのですね。
こういう場合は、指導者のアドバイスを受けながら行うといいかと思われます。
もちろん「やり過ぎ」も問題ですから、どちらにしても「過ぎたるは…」ですね。




第36号・H21年7月「大きな勘違い!」

 免疫学で有名な新潟大学、安保徹先生は、本の中でこう述べています。
 「私たちは大怪我をすると痛い、大やけどをすると腫れて熱を持つ。心配事が続くと腹痛や下痢が起こる。現代医療の世界では患者がこのような不快な症状を出したとき、消炎鎮痛剤やステロイドホルモン、副交感神経遮断剤などで症状を止めにかかるのが普通になっている。いわゆる対処療法が盛んに行われているのである。…私たちの組織が破壊されたとき、その修復には代謝を亢進させ(発熱)、循環を上昇させ、腫れを起こさせなければならない。…このような理解があると、不快な症状を熱心に押さえ続けることは、組織修復にとってマイナスの作用を与えていることに気づくであろう。」(免疫進化論、河出文庫より)
 先日、あるテレビで、口内炎についてやっていました。以前から時々口内炎ができ、治るのに時間がかかり、それこそ閉口しておりましたので参考にと思いその番組を見てみました。
まず、驚きの事実!口内炎の薬として使われているものは、口内炎そのものを治す薬ではなく、免疫力を下げて痛みをなくすだけの薬であったとのこと。どおりで、夜寝る前に薬を付けて寝ると翌朝は少し痛みが引けて良くなったかと思いきや、またすぐに痛くなっていました。免疫力を下げてしまうということは、治りは遅くなるということで、まさしくその通りになっていたわけです。因みに、口内炎発生個所の細菌を取り除くべく、ぶくぶくうがいを励行することにより治りが以前より早くなりました。
良く聞く話です。「この前○○が痛くなって、湿布薬を貼っていたら治った。まだ医者からもらった湿布薬がたくさん残っていたから、今度また痛くならないように、今のうちからいっぱい貼っておくのだ!」と。
さて、上記安保先生の理論からすると、湿布薬は消炎鎮痛剤ですから、痛みを感じなくする薬です。つまり、痛みがなくなってもそれは治ったわけではなく、鈍感になっているだけなのです。痛みを感じなくさせるために、あえて血行を悪くしているのです。
したがって、治ったと思っていてもそれは治っていないし、またずっとその湿布薬を使い続けるということは、さらに血行を阻害していることになり、治りはますます遅くなります。そればかりか、その部位だけでなく身体の他の部分にも影響を及ぼします。例えば、鎮痛剤の使い過ぎにより便秘になったりします。これは飲み薬についても同様です。
そこで、消炎鎮痛剤の類は「最小限の使い方」をすべきなのです。痛くて辛いときには、その痛みを軽減させるために、鎮痛剤を使用して構いません。しかし、その痛みや辛さが我慢できる範囲になったら、使用はなるべく控えた方が無難だということです。
このように、何ごとも過度にやり過ぎると、思わぬ「しっぺがえし」が来ます。
皆さんが良く使う、消炎鎮痛剤である湿布薬の使い過ぎによる弊害は、「しっぺがえし」ならぬ「しっぷがえし」と言えるかもしれません。




第35号・H21年5月「よみがえる脳!」

 脳は、左脳と右脳に分かれており、その二つが脳梁(のうりょう)という神経の束でつながっています。まだその人の心臓が動いて、息をしていても、この脳が機能しなくなったら、それをその人の死として認める、というのが脳死判定です。
脳卒中(脳出血、脳梗塞)などで脳の細胞が損傷を受けると、その細胞が果たしていた役割を行えなくなるので、後遺症という形で出てきます。それぞれの脳から出た神経は、首の所で交差して下方に下りているので、一般的に、右脳に損傷を受ければ、左半身に、左脳であれば右半身にマヒが出ます。一般的に右利きが多いので、左脳がやられると効き腕が不自由になるのでその後の生活が大変になります。
また左脳、右脳はそれぞれに重要な機能を分担しています。言語や算数といった論理的な働きは左脳で行っています。したがって、左脳が損傷を受けた場合、右半身の動きが悪くなるとともに、言葉を話せなくなったり、数が分からなくなったりしてしまいます。これに対して右脳は、映像・音声的イメージ、芸術的創造性などを司っています。
従来、発症後、約半年のリハビリで回復した以上は、その後はよくならないと言われていました。やってもだめだと(医者から)宣言されてしまったら、ほとんどの人はあきらめて回復のために何もしなくなってしまいます。
ところが、近年この回復不可能説が覆され始めました。発症後、半年以降もリハビリを続けていると、回復のスピードはゆっくりにしろ、確実に機能がよみがえってくることが分かって来ました。
実は、損傷を受けた脳の細胞が再生するのではなく、その失われた機能を、脳の他の部分が補って行うようになるのだそうです。これは「脳の可塑性(かそせい)」と呼ばれています。
しかし、そうは言っても、今までやっていなかった仕事を新たに覚えていくわけですから、当然のことながら、「すぐに」できるようにはなりません。まったく機能しなかったものが、完全でないにしても、日常生活を送るのに支障がない程度に回復するのに、5年、10年という長い期間がかかるようです。
今日より明日、明日よりあさって、というようにほんの少しかもしれませんが、やり続ければ確実に効果が出てきます。そのほんの小さな回復、向上を認識することが重要です。誰しも、頑張ってやって何ら効果が出ていなければやる気がなくなってしまいますね。ちりも積もれば山となる…です。
脳については、日進月歩で新たな事実が発見されています。あきらめることなく、日々脳に新しい刺激を与えることが大切です。
さて、あなたの脳は毎日、新しい刺激をもらっていますでしょうか?




第34号・H21年3月「愛と死を見つめて!」

 ♪「マコ!甘えてばかりでごめんねぇ〜ミコはとっても幸せだったの〜。はかない命と知りながら…」♪とっても懐かしい「愛と死を見つめて」の歌の一節です。
 死は忌み嫌われるもの、できればお目にかかりたくないものという捉えられ方が一般的ではないでしょうか?仏教でも避けられないものとして「生老病死」を挙げていますね。僕もずっと子供のころから、死は怖いものというイメージがありました。
 15年前に出版されたベストセラー、永 六輔著「大往生」の中の、「生が終わって死が始まるのではない、生が終われば死もまた終わってしまうのだ(寺山修二)」を読んだ時に目からウロコガ落ちたように感じました。「生と死は、コインの裏表だから、片方をぼやかすともう一方もぼやけてくる」…なるほど、納得。
 ちょうどその頃、テレビで「死をコーディネートする人」のことを放映しておりました。これは葬儀屋ではなく、生前にその顧客と打ち合わせをして、例えば延命治療についてとか、遺言、葬式のやり方、誰それは葬式に呼ぶな、墓はどうするかなどなどを取り決めて、その顧客がそうなった時にそれを遂行する人なんだそうです。
 そのコーディネータが面白いことを言っていました。当初、この仕事を始めた時に、顧客と死に方を取りきめたら、顧客はおそらく「これで安心して死ねる!」と言うのだと推測していたら一人としてそうは言わなかった。全員が「これで安心して生きられる!」と口にしたのだそうです。やはり、ぼやかしてはいけないのですね。
 これまた、ちょうどその頃、知人から紹介された本の中に、「体調が思わしくなく、ひょっとしたら死ぬのかと感じたら、動物と同じように、食事も水も一切摂るな。それを1週間ほど続けていると、(断食効果で)体調が良くなってくる人がいる。そうしたらまた食べ始めて生きろ!、と。それでも依然として体調が悪いままなら、そのまま断食を続けて逝きなさい。」と書かれていたのを読んで、な〜んだ、死ぬことは自分の意思で決められることなんだ、と思ったとたんに、ふっと楽になり、死に対する恐怖が激減したことを思い出します。
今やガンで亡くなる人は三人に一人。もうすぐ二人に一人になるのだとか。ガン、イコール死というイメージができてしまっているので、どうしてもうろたえがちですが、ある人に言わせればガンも捨てたものではないと。なぜならば、がんが見つかって明日死ぬということはまずない。三か月とか半年とかの余命があるのなら、その間にやりたいことができるのではないか、という考え方です。自分がやり残したことを、その期間のうちにやっておけるでしょ、とのこと。そしてその残された時間を密に生きて逝った人は、満足して死を迎えることができるのだそうです。
こうして考えると、今日のこの一瞬一瞬が大切な時として受け止められます。ぼけーっと鼻くそなんぞをほじっていてはなりませぬ。いや、やっぱりそういう時間も必要かな。




第33号・H21年2月「口呼吸に注意しましょう!」

 まずは、楽に座って普通の顔の状態で、ご自分の舌(べろ)の状態を観察してみてください。
舌が口の中でどのような状態になっているのかを観察します。
@舌の平らな部分が、上あごにぴったりくっついている。
A舌の平らな部分が、上あごから離れており、舌先は上の歯もしくは歯茎あたりにある。
B舌の平らな部分が、上あごから離れており、舌先は下の歯もしくは歯茎あたりにある。

さて皆さんの舌は@〜Bのどの状態だったでしょうか?舌の位置などあまり考えたことないと思いますが、実は@の位置が正解なのです。
我々は、普通、鼻から呼吸を行います。鼻は、空気の汚れを取る、湿気を与える、温めるなどの機能を備えています。口からの呼吸では、ストレートに肺に入ってしまいます。
舌の位置がAまたはBの方は、舌と上あごの間に空間ができていますから、そこを空気が通り易くなっています。つまり口呼吸をしている可能性が高いということです。またいびきをかく方は確実に口呼吸になっている証拠です。
口呼吸をしていると身体の免疫力が低下してしまうことが知られています。乾燥環境でインフルエンザになりやすいとのことですが、鼻呼吸であれば口呼吸より感染しにくいと考えられます。また口の中の手入れが悪いと雑菌が繁殖しやすくなり、口呼吸であるとその菌を吸い込みやすく、つまり肺炎になりやすいということになります。
僕は、小学校の時から高校まで水泳競技をやっており、ご存じのように水泳では、完全な口呼吸ですから、以前から普通でも口呼吸になっていることを知っておりました。そこで数年前から、夜寝る時に絆創膏で唇を閉じて寝ていました。今回舌の位置を確認したところやはり舌が下がっておりAの状態でした。
そこで口周りの体操として従来から指導している「あかキウイ、べぇ〜」の動きを、車を運転しているときなど、数日間徹底してやってみましたところ、なんと舌が@の状態に落ち着きました。舌は色々な方向にもいっぱい動かしました。
その後も就寝時は口に絆創膏を必ず付けていますが、先日出張でホテルに泊まった時にその変化に気づきました。いつも使用するそのホテルは、冬場暖房のために相当乾燥しており、毎回夜中に、ぱかぱか目があいたり、時間数は寝ているのに、疲れが取れない、すっきりしないなどの感覚がありました。ところが今回はぐっすり、すっきりだったのです。夜洗って干した下着が朝には乾いていましたから、乾燥度はいつも通りだったと思われます。
口呼吸でリウマチ、花粉症になりやすいとの情報もあります。自分の舌が少し下がっていると思われる方は、是非やってみてください。




第32号・H21年1月「まだまだ分かっていないことが多いようですから…!」

 先日テレビで「腰痛」に関する番組をやっていました。
 現在、世界腰痛学会の会長さんが福島医大の学長、整形外科医の菊地先生という方なのだそうです。その菊地先生が、番組の中で面白いコメントを言っておりました。
 「腰痛に関して、この頃ようやく色々分かりかけてきました。」と。
 …ということは、今までは、あまり良く分かっていなかったし、現在もまだ分かってはいないと言うことになります。
 どおりで、腰痛に悩んでいる人が多いわけです。メカニズム、原因などが解明されていないのですから、当然治療法もまだ確立されていないということになるわけですから・・・。
 ちなみに、よく整形の病院でやられている、腰を引っ張ったり、電気をかけたり、温めたりは、やった直後は良くなった気がするが、根本的な治療にはなっていないことを、お医者さんが知っているのだそうです。だからといって、何も治療らしいことをしないで患者さんを帰すと、患者さんに文句を言われるし、患者さんが来なくなってしまうのを心配して、行っているとのこと(^_^;)
 腰、腰痛でさえこれですから、脳なんかになればますます分からないことだらけと言っても過言ではありませんね。従って、認知症、ボケるメカニズム、原因が解明されていないので、その治療法、治療薬も確立されていません。
 ガンも同様です。これも分かっているようで分かっていない。現在西洋医学のガンに対する三大治療が確立されているように見えますが、統計を取ってみると、決してガンを克服できているとは言えないばかりか、治療の成績は悪くなっているようです。
 約1年前のこの「かわら版、第26号」にある人の腰痛が実は脳の勘違いだった、ということが書かれている本を紹介しました。先日のNHKためしてガッテンでも痛みについて、脳が本当は痛くないのに、痛いと思いこんでしまうといった内容をやっていました。
 このように、実は我々人間の体については、まだまだ分かっていない、解明されていない事柄がいっぱいあるのです。人体の不思議いっぱいです。
 そこで、医者から、例えば「治らない」というようなことを言われたとしても、それは絶対ではないと言うことなんですね。その医師が知っている範囲では…という条件付き判断なのです。従って色々と別なことを試してみる価値はあるということです。
 ガンで余命を宣告されながら、その余命をずいぶんと過ぎて生きている方もたくさんいます。余命を信じて、がっくりしていたらおそらくその通りになるのではないかと思われます。
 無茶をしろと言っているわけではなく、また情報氾濫の時代ですからいい加減な情報に振り回されることなく、自分が着実にできることを試してみる価値は十二分にあると言うことです。あきらめたら…「はい、それま〜でぇ〜よ!」。



第31号・H20年11月「心身を任せるということ」

 入院を体験しました。インドから帰国して二日目から熱が出始め、約36時間、39℃近くまで上がりっぱなし。町医者から「薬を飲んでも良くならないようなら感染症が疑われるので医大病院で診てもらいなさい!」と言われました。その後薬を飲んでも一向に熱が下がらなかったために、翌日医大を受診したところ、「原因は分からないが抗炎症反応が出ているのでこのまま家に帰すわけにはいかないので、隔離します!」…そして隔離入院になりました。
 30年目に交通事故で入院したことがありましたが、それ以来の入院です。入院していろいろな処置や検査を受けましたが、医者をはじめとする関係者の対応が、以前に比べて何やらすごく丁寧と言うか、細かいあるいはくどい感じがしました。ひとつひとつの処置や手続きを事細かに説明して、同意を得たり、確認したり…。調子が悪くて受診した身には、少々うるさく感じてしまいました。
 近頃の医療に関するサービスの質や医療過誤の問題から、このような対応になっているのだと思われますが、どうもしっくりきませんでした。何故こんな気持ちになったのか考えてみました。何せ強制隔離入院で暇だったものですから…。
 医療というのは、自分自身ではどうにもならない状況を改善してくれる手段です。つまりこちらとしては、何とかして欲しいと藁をもすがる気持ちで受診しています。そこで受ける処置については、大きな選択肢があるときには別ですが、ある意味医療に対してお任せモードになっています。ところが、医療側からいちいち事細かに、「こうしますよ!これはどうですか?」などなどと確認されると、逆に苛立ちを覚えてしまいます。
 「任せているのだから適切な処置をてきぱき、どんどんやってくれよ!」という気持ちになりました。医療のようなサービスの場合、丁寧さもある程度は必要ですが、それよりも、てきぱきとした「有無を言わせぬ的確な処置」によって、患者を安心させて欲しいと考えるのは僕だけではないと思われます。
もうひとつ気になったことは、言葉とかが丁寧になった割には、大切な処置、行動の方が何となく手際が悪いというかおぼつかないというような印象を持ちました。ひとつの処置の流れがどことなくぎこちなかったり、もたついたり、その振る舞いが美しくないのです。失敗が多いということではなく、動きが洗練されていないのです。 
これは、確実にその医療者の個人的な技量に依るものなのですが、30年前の入院時に比べると全体的にどことなく洗練されていない感じがしたのです。言葉が丁寧な分、かえって仕草、立ち居振る舞いのぎこちなさ、もたつきを感じてしまいました。
人の動きが、相手に与える印象の大切さを今回の入院で知りました。現在、身体に関しての意識が希薄になってきていると言われています。特に医療のように「人」を扱う職業では、己の身体感覚や動作の重要性を認識する必要があると思われます。




第30号・H20年9月「取りこし苦労もほどほどに!」

「取り越し苦労」を辞書で引いてみると、『将来のことをあれやこれやと考えて、つまらない心配をすること。』(広辞苑)とあります。起こるかどうか分からないことに対して心配をして無駄なエネルギーを使ってしまう状態です。ただし、ある人は、それは危機管理だと言います。想定される危機(悪いこと)に対して事前準備をして置くことが必要だと。
先日読んだ本の中に以下のような文章がありましたので紹介します。
『ぼくが運転免許を取って初めて車を買おうと思ったときに、友人のディーラーに相談したんです。運転が下手であちこちぶつけるかもしれないから、中古車を買おうと思って。でも、友人は絶対にピカピカの新車を買わなきゃ駄目と言うんです。「ぶつけても大丈夫なようにという理由で中古車を買ったら、必ずぶつけるぞ。だって、ぶつけないと中古車を買った意味がないから」って。これは明言だなあと思いましたね。(中略)取り越し苦労というのは、未来が予測可能であることが前提になっていますよね。こうなって、こうなったらどうしよう…と起こり得る可能性を網羅的に列挙して、その中の最悪の状況を想定して、そのときの困惑や苦悩を先取りする。でも、まだこれから何が起こるのかもわからないときに取り越し苦労をしてしまう人間というのは、失敗を宿命づけられているんですよ。だって、人生って必ず予測もしなかったことが起こるわけですから。もっと未来の未知性に対して敬意や畏怖の念を抱かないと。(中略)ですから、「取り越し苦労をするな」というのは、楽観的になりなさい、ということでは全然なくて、「何が起こるかわからない」のだから、全方位的にリラックスして構えていないと対応できないよ、ということなんですね。』(「健全な肉体に狂気は宿る」内田 樹(タツル)、春日 武彦対談、角川oneテーマ(新書))
この文章を読んでいて、僕の脳裏に小学生の時のことが鮮明に思い起こされました。小学校6年生でプール当番になり、プールに固形の塩素をまく仕事をしていたときのことです。プールの縁を歩きながら固形塩素を投げ入れていたのですが、ふと「ここで足を踏み外したらプールに落ちてしまうよな!」と考えたとたんに足がもつれて、服のままプールにボチャン!。「そうなると嫌だなあ」と思ったとたんにそうなった経験です。皆さんもひとつやふたつはお有りではないでしょうか?
 心配性の人の話を聞いていると、「そんなことまで想定して心配するエネルギーはすごいなあ」と思いますし、また、「いつもいつも心配しているんだから身体の調子も悪くならないわけがないなあ」と感じます。
 紹介した本の題名「健全な肉体に狂気は宿る」の意味は、精神を病んでいる人が身体的な病になると、その精神的な病はよくなるのだそうです。つまり精神を病むということは、肉体的に健康であるということでもあるのだそうです。なんとも複雑???




第29号・H20年7月「運動は『苦行』ではないのですぞ!」

先日、運動指導をしている教室で参加者の方が、「今まで、疲れて帰ってきて何もする気がなかったが、この教室で指導された運動を(しぶしぶ)やってみたら、かえって疲れが早く取れることに気がつきました。」と言ってました。
 運動、体操が継続できない方達は、やはり日常の仕事、生活で疲れてしまうので、それ以上に何かをやる気になれないと言いますね。
 我々の「運動観(運動の捉え方)」がどこで作られるのかと言うと、ほとんどの場合学校の体育で形成されます。健康運動の場合、「自分のペースで、無理をしないで、ゆっくりやりましょう!」と言われていることはご存知のことと思いますが、さて皆さんは学校の体育のときに、先生からこのように「無理なくやろうね!」などと言われたことがありますでしょうか?「歯をくいしばって、力の限り、がんばれ〜!」ではなかったでしょうか?
 その手の運動は「増強、増進」という意味合いでは効果がありますが、体の「お手入れ」という観点からは逆効果です。健康維持のためには、体のお手入れが必要であり、そのために適度な運動、体操を実践したいわけですが、「運動」と聞くとその昔学校で植え付けられた「歯をくいしばって〜!」がどうしても脳裏によみがえってしまうのですね。
 しかし、運動の必要性を感じ実践し始めた人に、もう一つのハードルが待っています。それは「疲労困憊するほどやらなけりゃ効果がない!」という思いが体にしみ込んでいることです。「三つ子の魂百まで」という諺がありますが、小さい時に刷り込まれたものは簡単には変えられないということです。したがって特に若い時に競技スポーツなどのハードな運動をやった経験がある方は、体が勝手に暴走してしまうきらいがあるのです。無理なく実践したつもりが、終わってみれば疲れてしまって…「もうやりたくない!」
 したがって、頭では運動、体操の必要性を理解していても、体の奥底の方で「つらい!、疲れる!、いやだ!」という思いが湧き上がってしまうのです。
 健康のための運動は「苦行」ではありません。「福音」なのです。
 そこでこれまでの自分の「運動観」を変えることから始める必要があるのではないでしょうか?「つらい」と感じたら、それはもうやり過ぎです。
 指導をしていて、このことを口を酸っぱくして言うのですが、どうしてもやり過ぎてしまう方がいます。特に男性です。男性は「力の動物」であるということと、女性に比べて鈍感なところがあるので、やり過ぎに気がつかないようです。
 まだ自分の決めた運動の量に達していなくても、「これ以上やったらきつくなるなあ!」というところで「止める勇気」も必要です。その線をうっかり越えてしまうと、それこそ、つら〜い「苦行」になってしまうんですよね。




第28号・H20年5月「忘れ去られている道具…?」

 我々の身体の部分について、意識が「濃いところ」と「うすいところ」があることにお気づきでしょうか?
例えば、胴体の前側と後ろ側ではどちらの意識が濃いでしょうか?あるいは、お尻を締める股の後ろ側の筋肉とおしっこを止める股の前の筋肉ではどちらの感覚がはっきりしていますか?脚の外側と内側ではどちらの意識が鮮明ですか?
このように身体を観察してみると、意識が濃くて明確に動かせるところと、逆に意識が薄くて動かそうと思っても手ごたえが少ない、つまり動かしづらいところがあることに気づきますね。
さて、それでは私たちが身体を動かす場合、意識の濃いところとうすいところではどちらをたくさん動かしているのでしょうか?…もちろん動かしやすい「意識が濃い部分」です。
つまり意識がはっきりしている部分はたくさん動かしているのに対して、意識がうすい、動かしづらい部分はあまり動かさないという状態になっているのです。
この状態を無意識にずっと続けているのですから、使わない側はどんどん劣化していくことになります。こうして日常生活では、使っている側との差(アンバランス)がどんどん大きくなっているわけです。そしてこのアンバランスが「あっちが痛い、こっちが痛い!」「ふらふらする、動かない!」といった状態を生み出しているのです。
また運動では、身体を比較的に大きく動かしますが、やはりどうしても意識が濃い方を使ってしまいがちです。言い換えれば、使われていない側があるということです。特に意識しないで動けばこの意識が濃い部分が主に使われており、意識がうすい部分はただそこに存在しているだけです(まったく使われていないわけではありませんが)。
この意識のうすい部分は、自分では在ることも忘れてしまっている部分、筋肉であるのです。もしこの部分、筋肉が使えるようになったらどうでしょうか?持っているのに使わないでいた道具をそれなりに使ってあげたら身体の動きはどうなるでしょうか?
使い方の意識を変える、使う道具を変えるとおそらく今までにない感覚での動きになるはずですね。同じところ(意識の濃い部分)ばかりを酷使してやってきたのに対して、今までと違った部分、道具(意識のうすかった部分)を使えるようになるということは、新たな身体の動きを手に入れるということでもあります。これは身体にとっての「ブレイクスルー(ひらめき)」または「あは体験」なのです。
ただしこの意識のうすかった部分を使えるようになる(意識を濃くする)ことは簡単ではありません。でもあきらめずにやってみる価値はあると思います。ひょっとしたらもうだめだと思い込んでいた動きが、いとも簡単にできるようになるかもしれませんよ。




第27号・H20年3月「体操が悪い!!のでしょうか?」

 ある方(Aさん)が筋力アップのある体操をしたあと数日後に筋肉痛になりました。Aさんは、「この体操をやると筋肉痛になって痛いからもうやりたくない。この体操は私には合わないのだ。体操が悪いのだ!」と言います。さて本当に体操が悪いのでしょうか?
 まず筋肉痛とは何か?筋肉痛は、筋肉にいつもより強い刺激が与えられると、筋肉の繊維に微細な筋断裂が起こります。骨が折れた後、回復するとその折れた部分が太くなっているということを聞いたことがあると思いますが、我々の体は修復する際に、そこが再び折れたり、切れたりしないように前よりも太く、強くしようという作用が働くのです。実は筋肉痛はその筋断裂によって生じる痛みなのです。そしてそこが修復されれば筋肉は前よりも強くなるということです。つまり言い換えれば、筋肉痛は筋肉が強くなっていく過程で起こる現象なのです。決して嫌なものではないんですね!少し筋肉痛に関する考え方が変わりましたか?
 さて先ほどのAさん。筋肉痛で苦しんだことに関してはお気の毒だと思いますが、何故そのようにつらい筋肉痛になってしまったのでしょうか?
 もうお分かりですね?Aさんの筋肉がその体操に対して弱かったためにひどい筋肉痛になってしまったのです。つまり体操が悪いのではなく…Aさんの筋肉が弱かったということですね。では、ひどい目にあったAさんがこの体操をやらなくなったらその弱い筋肉はどうなるのでしょうか?…そうです!もっと弱くなってしまうのです。
 しかしつらい筋肉痛は困りものですから、今度やる時には、ひどい筋肉痛にならない程度に、回数、強度を下げて行えばいいのですね。もう一度言いますが、筋肉痛になってしまうのはその体操が悪いのではなく…自分が悪いのですなあ^_^;
 我々の身体について、これだけ科学、医学が発達しているにもかかわらずまだまだ解っていないことが多々あります。脳のことなんかはほんの数パーセントしか解っていないとか?筋肉でも体の深部にあるいわゆる「深層筋」については、電極を刺して調べるわけにもいかないためにまだ解らないところがあります。その代表選手が「腸腰筋」。この筋肉は骨盤の裏側および腰骨の裏側についている筋肉です。
さてこの筋肉が筋肉痛になったらどうなると思いますか?骨盤の奥が痛い、腰骨の際のあたりが痛い…これって腰痛ですよね。つまり腰痛とは腸腰筋の筋肉痛と考えられるのです。いつもと違った動きをした時に腰痛が起こるのではありませんか?
「腰痛」と考えるとすぐに「医者にかかるもの」となりますが、これを「筋肉痛」ととらえるとちょっと気分的にも違うし、対処法も見えてくるのではないでしょうか?筋肉痛になったら腰痛体操などで「ほぐし」てあげる。そして、症状が良くなってきたら、筋肉痛が起きてしまったのは、筋肉がその活動に対して弱かったためですから、この腸腰筋を鍛えてあげればいいのですね!腸腰筋トレーニングは「スクワット」です。




第26号・H20年1月「脳は案外いい加減!?」

 先日読んだ本の紹介です。
「腰痛は脳の勘違いだった−痛みのループからの脱出−」戸澤洋二著 風雲舎
 この本の著者はエンジニアで、7年間苦しめられた腰痛の闘病記です。慢性化した痛みに苦しんでいる人が多くおられますが、その方々には参考になる本だと思いました。
 ここで著者が自分の体験から探り当てた結論は、「痛みが慢性化してくると脳が『痛みがあることが正常だ』と勘違いしてしまう」、ということなのです。本来ならば治療をすれば、治そうとする体の自然な働きが出てくるところですが、もう脳が勘違いをしてしまっていると治そうという働きかけそのものを拒絶してしまう、つまり治らない、ということなのです。
 もうひとつ面白いことに、人間はストレスを脳(Aという場所)で感じると、それを紛らわそうと身体のある部位に痛みを生じさせてしまうのだそうです。この著者の場合はそれが腰痛だった。そしてその痛みを感じる脳の場所はBという別の場所なんだそうです。痛みが長期間続くとBではその状態を『普通・正常』と勘違いをしてしまうというものです。したがって、何らかの治療を施して患部の痛みが軽減してしまうと「脳B」は、「痛くないからおかしいぞ!」と勘違いをして、痛みがある状態に戻そうとしてしまう…とか。
 興味のある方は是非お読みください。最初から3分の2以上は闘病記です。後の方に、最終的には3ヶ月でその慢性化した痛みから解放されたやり方、考え方が示されています。
 こうしてみると、脳というのは、めちゃめちゃ精巧にできているからしっかりしていると思いきや、何ともいい加減なイメージです。
 よくある「思い込み」が同じような脳のいい加減さなのかもしれません。事実とは違っていてもその人が「そうだ!」と思い込んだことがその人にとっては現実になってしまうのです。周りの人がいくら「違う!」と言っても、その人の脳にとってはまぎれもない事実としてとらえられているのです。
 一般的に俳優はその時の心情を表情で表しますが、日本の伝統芸能である能ではお面をつけているので演者の表情では、心情を表現できない。しかし観客にはその心情が伝わってくるのは何故かを、脳の動き(脳波)を分析することで解説していたテレビ番組がありました。
 通常俳優は、自分本人は特に悲しかったりするわけではないが悲しんでいる表情を上手に作ることができます。涙まで流せるのです。脳波を調べても悲しさを感じている脳波は出ていませんでした。ところが能の演者は悲しい場面では脳が現実に悲しさを感じているという脳波が出ているのです。これは一種の「思い込み、思い込ませ」なのですね。
 こうして見てみると、痛みがあることが正常だと勘違いをしてしまったり、現実ではないことをさもあったことのように思いこんでしまうなど、脳は何ともいい加減なんですなぁ。
 「あなたは本当にいい加減な人!」とよく言われる訳ですわな。^_^;




第25号・H19年11月「健康という土俵であなたは何をするのでしょうか?」

健康個人相談をしていて驚いたことがあります。ある初老の男性でした。少々太りすぎなので、食事、運動に気をつけましょう、という内容のアドバイスをしていました。するとその男性が、「食事と運動に気を付ければ健康にいいことは分かっています。でもね、健康になって僕は何をすればいいんでしょうね?」と言うではありませんか!僕は絶句してしまいました。健康になる意味がない…つまり生きる甲斐がない。
健康に関心があるあなたは、健康状態を基にして何をしたいのでしょうか?その目的がはっきりしているならば、その目的に向かっていくために、自分の身体、健康をどのような状態にしておかなければならないのかが見えてきます。逆に、その目的が不明瞭な場合には、健康である必要性も希薄になってくるのでおそらくいい加減状態になってしまうのではないでしょうか?
体重を減らす、高い血圧を下げる、食べ過ぎない、栄養のバランスを良くする、運動を継続するなどなど、こうしたらいいですよ!と言われていることを多くの方々は知っています。ではなぜ実行できないのでしょうか?
よく「意志が弱いからだ。」という言葉を耳にしますが、おそらく先に書いたように、自分が生きている意味、価値などの目標が不明瞭、不鮮明なために、継続できないのではないでしょうか?
健康という土台、土俵の上で何をしたいのでしょうか?何をすべきなのでしょうか?健康でなければ何もできないという意味ではありません。ただ、より健康であった方が目的は達成しやすいと思われるのです。
ただし、自分自身の興味や意思でやりたいことが明確であればそれに越したことはないでしょうが、生きていく上ですべてが自分の思い通りにはなりません。もしかすると、自分では全く望んでいないのに、周りから期待されて、或いは立場上やらざるを得ない場合もあるかもしれません。その状態は自分が欲していないのですから、おそらくストレス、うっ憤が溜まりやすくなることでしょう。
でも、周りがあなたにそれをやって欲しいと期待しているということは、あなたの存在価値が認められているということです。そして、それがあなたの力で処理可能なことならば、とりあえず受け入れてやってみてはどうでしょうか?自分の存在を明確にするために行ってみるのです。つまり他人のためではありません。自分のためです。
かの有名なアウシュビッツで生き延びた人の多くは、無理難題であっても与えられた仕事を黙々とこなした人たちだったという報告があります。




第24号・H19年8月「いろいろな自分がいる…?」

財布を拾ったとします。「困っているだろうから交番に届けよう!」と思い、2、3歩歩いたところで頭の後ろの方から「自分も落としたことがあるんだから貰っておいてもいいんじゃないか!」という声がしてきます。「届ける!」「貰え!」どちらも自分の心からの声です。
この例のように、自分の心にはいくつもあるのです。そのいろいろある心、それぞれが自分の心なのです。そして、それらの心をちょっと離れたところから見ているもうひとつの心、自分がいることにも気がつきます。このいろいろな心の言い分を聞きながら、ある方向にまとめていく自分が大元の自分の心なのです。
この中心となる自分の心(セルフと呼びます)が定まっておらず、あっち、こっちと湧き出てくるいろいろな心の声に振り回されてしまったらどうなるか分かりますね。
皆さんは、食べ過ぎなければ太らない、運動した方がいい、酒の飲みすぎはよくない、タバコは自分だけでなく人にも害を与える、ストレスはためない方がいい…と知っていますね。ところが、ついつい食べ過ぎてしまう、タバコは止められない…という事態になっています。これは、例えば「少しくらいなら食べても大丈夫!」、「タバコを我慢するとストレスが溜まるから!」とかなんとか言い訳しながら流されてしまう。それはセルフがしっかりしていないので、どうしても安楽な方へ流されてしまうのです。つまり自分の(いろいろある)心がコントロールできていない、ということなのです。
そこでインド発祥のヨーガでは、足を組んで瞑想をするのです。その流れが中国から日本に入ってきて「座禅」となったのです。ヨーガも座禅も「自分の心をコントロールすること、セルフをしっかりさせること」を目的として行われています。
ヨーガは日本では「体操」のイメージが強いですが、体操は本来の目的、心のコントロールのための瞑想をしっかり行う為の一種の手段なのです。例えば、蓮華座の足をしっかり組むために関節や筋肉を柔らかくするとかです。
いろいろ湧き出てきて勝手気ままにあれこれ言う自分の心も自分なのです。嫌な自分もいるはずです。でも、それも自分の一部なのです。逆にいい自分、ステキな自分もいるはずです。でも多くの場合嫌な自分がしゃしゃり出てしまいませんか?そして悩む…(--;)
まず、嫌な自分も自分であることを認めましょうか!「ああまた出てきたな!」と、できの悪い子を暖かく見ている親のように見守ってあげましょう。出てくることを否定したり拒絶してしまうとその子はグレます。見守りながら修めていくのです。
それが親役であるセルフの役目です。一日一度、短い時間でも自分の心を見つめる時間を持つことを心がけるとこのセルフの力がついてきます。すなわち自分の心がコントロールできるようになる…食べすぎをしなくなるようになる…ということです。




第23号・H19年5月「やれることはいっぱいあるぞ!」

 昨年度から開始になった「介護予防事業、特定高齢者の運動器の機能向上教室」に関わって感じたことを書いてみたいと思います。
 まず誰一人として身体を動かさずにじっとしていたいと思っている人はいないということ。…でも現実は、あちらが痛い、こちらがつらい、といった具合で、思うように身体が動かせないのが実状で、結果的に思ったほど身体を動かしていない人が多いようです。特に農家の方では、畑に出て仕事がしたいと考えている方が多かったのですが、家族が転んで怪我でもされると困るからと言ってやらせてもらえないようです。まあ、確かに最初お会いしたときには、通常歩行もやっとと言う方がいましたから、家族からすれば仕方ないことなのかもしれません。
 また活動とも呼べない程度の身体動作、例えば物を飲み込む、立ったり座ったりの動作、寝返り、などに不自由さを感じている方が思ったより多くいらっしゃいました。しかも、こういった不自由さを本人は「老化現象」だと考えて「仕方ないこと」と捉えていました。
 機能向上教室では、動かさなかったために起きているサビつきをとる体操、偏りのある生活の中で生じた筋力のアンバランスの解消(筋力アップ)、そして酷使してきてほとんど手入れをしてこなかったためにかたくなってしまった身体の「ほぐし」、そして誰一人として習ったことのない歩き方、立ち居振る舞いの動作などの動作練習を3ヶ月の間行います。
 内容は、もちろん自分で家でもできる簡単なものです。ただしその背景にある考え方をよく理解してもらいながら実施していきます。
 当初は何をやらされるのか良く分からずに緊張してこわばった顔をして来ていた人も、1ヶ月もすると内容が分かり安心すること、そして実際に身体を動かしてみて何らかの効果が実感できるので、次第に顔の表情も穏やかになり、その目にはやる気が輝きだしてきます。
 もちろん特に高齢者は個別性が大きい、つまり一人ひとりの状況がまったく違うのですべての人に同じように効果が出るわけではありません。でも何らかの改善が必ず見られます。(中には本人は自覚できなくても周りから見ると動きが大きく向上した方もいます。)
 今までほとんど家の中だけで生活をしていた80歳過ぎのAさん(女性)は腰が曲がりこの頃では地面しか見えなかったのがこの教室に参加して、周りの景色が見えるようになったと喜んでいました。人任せでなく、自分でやれる
ことがあることを知り、Aさんは最終日に「これからの生活の中でつらいことがあったらこの教室を思い出してがんばるからね!」と言いながら僕の手をしっかりと握ってくれました。




第22号・H19年1月「足ることを知ると幸せになる!」

 「あれがあったらいいなあ、宝くじがあたるといいなあ」・・・お金や物はたくさんあるほどいいのでしょうか?
井上陽水の歌にこういうフレーズがあります。「♪限りないもの、それが欲望〜♪」。ひとつのものが満たされると、次のものが欲しくなるのが欲望。際限なく広がっていくのが欲望ですね。欲望があるということは、今の状態では「足りない」と思っているということです。つまり・・・不満あり。その不満が向上心を生み出しがんばりにつながる・・・という考え方もできるかもしれませんが、不満、すなわち満たされていない状態ですから幸せには感じません。極端に言えば「不幸」。
 昔からの言葉に「知足者常楽也」(足るを知る者は常に楽しい)があります。今現在の状態に満足している人は楽しい、幸せであると言っています。これは物やお金の多寡にかかわらず「今、このときに満足する」と言う考え方です。幸福感に包まれたときに口から出てくる言葉は・・・「ありがとう」です。
 「ありがとう」と言う言葉の響きにより「水」が良い性質を持つようになることが分かっています。我々人間は、体組成のうち実に60〜65%が水でできています。つまり「ありがとう」を多く口にする人は体内の水が良い状態になるということ・・・つまり健康であるということです。
 ある程度の状態で満足して「ありがとう」はなんとなくできるような気がしますが、一見すると不幸に思えるときに、あなたは「ありがとう」が言えますか?
「ツキを呼ぶ『魔法の言葉』」(五日市剛著)という本の中では、「嫌なことがあったら『ありがとう』」「いいことがあったら『感謝します』」「ふだんから前向きに『ツイてる!ツイてる!』」という3つの言葉で幸せになると書かれています。
また吉幾三の「出遭いの歌」に「♪ありがとう!波、風、嵐よ。またひとつ道が開けて〜・・・♪」というフレーズがあります。その時点ではつらい、不幸なできごとと思われることも、後から考えるとその「こと」が契機となって新たな展開になり、結果的にはいい方向に向く、幸せになったということを経験したことはありませんか?・・・ということは、不幸だと思われることは、実は幸せの種であると考えることができるということです。だからつらいときにこそ「ありがとう!」。
そこからちょっとでもものごとが好転したら、それこそ心底から「ありがとう!」が口から出るのではないでしょうか?
「足ることを知る」。ちょっとチャレンジしてみませんか?




第21号・H18年9月「うれしいお便りもあれば…!」

福島県の小さなI町で、高齢者対象の「筋力アップ体操」を週に1回ずつ3ヶ月間12回で実施しました。その教室に参加した70歳前後の女性のからうれしいお便りが届きましたので抜粋を紹介させていただきます。
『…当初三ヶ月はとても長いと思ってましたが、もっとお話ししたかったのに短くて心残りでした。吉井先生に「自分の身体は誰が治すのか?」と聞かれた時、私は、医者か吉井先生と思いましたが、自分で体操をやってみて、やはり自分で治すものだと実感致しました。お陰様で腰も良くなり、足も良くなったと思っています。……家でも毎日何回か復習をしてまわりの皆さんからも声援を受けています。……』
この方は数年前に転んで腰を圧迫骨折してしまい、それから腰痛に悩まされていましたが今回の教室を通して改善が見られました。
自分の身体が思い通りにならなくなったとき、お医者さんや治療師さんにすべてをお任せしてしまう場合が多いのですが、特別な場合を除いては自分でしかできない、自分自身ですべきことがいっぱいあるのです。そのことを、この方は今回の教室を通して実感し、実践を継続し、そして効果を喜んでくれたのです。
こうしたうれしい声とは別に、まだまだ力不足だなあと落ち込んでしまう事例もあります。
これはある町の生活習慣病予防改善のための教室のことです。生活習慣病は「生活習慣」が原因なので、現在の生活習慣、特に食習慣、運動習慣のを改善することを狙いとした教室でした。習慣と言う行動は、長年行ってきた身にしみついた行動ですから、そう簡単には直すことはできません。そこで今回の教室も3ヶ月という期間を設定し毎週1回で実施しました。効果としては、体重や体脂肪率、腹回りなどが飛躍的にとはいきませんでしたが、それでも傾向として下がってきていました。
しかし、最後に聞こえてきた参加者の声に唖然!「家でできないから週に1回ここに来たときくらいは体をいっぱい動かしたいのよね。」……(>_<)
『週に1回ではやらないよりまし!』『家で毎日少しずつでも生活の中に運動を取り入れる工夫を!』などなど、あの手この手と理解してもらえるように努力したのに…。
この教室での指導者は、「家でもできるようにやり方を覚えてもらうこと」を意図して実施したはずなのですが、その意図が的確に伝わらず終わってしまったのでした。
指導者に引っ張ってもらって、その時はやった感があるのかもしれませんが、あとの6日間何もやらずにいて期待している効果が出るのでしょうか?
自分自身でやっていくことを覚えた方と誰かにやってもらわないと実践できない方。日々の少しずつの積み重ねの大切さを伝えていかねばなりません。




第20号・H18年7月「自給自足は何の種?」

 僕は、身近なある方から「あなたは、ちゃんとやれば問題ないことを、しっかりやらないために自分自身で忙しくしている」とよく指摘されています。
例えば具体的には、物をうっかりこぼして、それを片付ける為に時間を使う、確認を怠った為に再度やり直ししなければならなくなる等など…というようなことです。確かに…その通りなのです。これを僕は「自給自足」と申して(うそぶいて)おります。
 毎朝犬の散歩の時に、初老の男性と行き違います。お互いに「おはようございます!」と声を掛け合いますが、その男性はかぶっている野球帽を毎回しっかりとって挨拶してくれるのです。当たり前のことなのでしょうが何ともすがすがしい感じがします。素敵な挨拶です。
 また毎週伺うあるお宅があります。帰るときにその家の奥さんは必ず外まで見送ってくれます。それだけでも恐縮するのですが、ある日あることに気づきました。玄関前から車を出発させ数十メートル先の交差点を曲がるのですが、その時にふと車のルームミラーを見てはっとしました。何とその奥さんはまだそこにいて、それだけでなく僕が角を曲がる際にお辞儀をして、曲がり終わるまでそのお辞儀の姿勢のままでいたのです。それから毎回注意していますが必ずそうして、まさしく「見送って」くれているのです。昔では当たり前だった行為なのかもしれませんが、これまた何とも感動的な行為です。
 こうした素敵な挨拶をしてくれる人に対しては、僕は無意識に通常以上のことをしてあげたくなります。誰でもそうしたくなるのではないでしょうか?
つまり、これらの人は何気ない挨拶を通して「良い種」を蒔き、それがある日に素敵な収穫となって返って来る、つまりハッピーになるのです。素敵な「自給自足」です。この手の控えめな「良い種」蒔きタイプの行為は「陰徳」と呼ばれています。
 同じ「自給自足」でも、「悪い種」を蒔いてその始末にてんやわんやするタイプと、「良い種」を蒔いて素晴らしい収穫となって返って来るタイプでは大きな違いになってきます。
 できれば自給自足は「良い種」蒔きタイプで行きたいものです。誰でもそう思うのではないでしょうか?
 ところが日々の生活の中ではどうも「悪い種」を蒔き続けているようなのです。その尻拭いに日々奔走する…何とも情けない話なのですが、「♪分かっちゃいるけど止められない♪」といった感じなのです。忙しいという漢字は「心を亡くす」という字です。心が亡くなっている時に素晴らしいことができるわけはありません。
 是非とも「良い種」をたくさん蒔き、素敵な収穫となって返って来ることを喜ぶ「自給自足」にしたいものです。
皆さんはどちらのタイプの自給自足でしょうか?




第19号・H18年4月「幸せは自らの内に…!」

 ある日の出来事です。僕は結構なチョコレート好き人間で、自分でチョコレートを買ってよく食べます。1個ずつ分かれて箱に入っているお気に入りのチョコレートを買い、車を運転しながら頬張っておりました。12個入りのチョコレートです。往きに約半分を食べ、帰りに残りを食べながら運転していました。
 「あーッ、あと2個しかないな。」と見てから2個食べました。空箱を屑箱に入れようと持ち上げたところ「んっ?」。少し振ってみると中でころっと動くではありませんか!そうです、もうひとつ残っていたのです。それを知った瞬間に僕の身体の中に、「幸福感」がどばっと音を立てながら広がっていくのを確かに感じました。それはそれはとても幸せな気分に満たされたのです。
 こういう話しを聞いたことがあります。『栗が大好きなある人が、この栗を食べるときの幸福感がどこにあるのかを知りたくて栗を細かく割ってみたのだそうです。しかしいくら細かく調べてもお目当ての幸福感は見つけることはできませんでした。そしてその人は悟りました。幸せは栗にあるのではなく自分の中に在ることを…。』
 まさしく今回のチョコレートで感じた幸福感もチョコレートに在ったのではなく、もう残りがないと思っていたところで、「もうひとつ」を認識した時に湧き出てきた幸福感でした。
わずかひとつ20円足らずの金額でこれだけの幸福感を得ることができたのです。幸せは物の多寡で決まるのではなく、自分の置かれている状況のなかでその「こと」をどのようにとらえるのかによって生じるものなのですね。ほんの些細なものごとでも、それを受け止める自分のとらえ方、考え方および状況によって大きな幸福感となるようです。そういうとらえ方ができる人はもちろん幸せで健康でしょうね。
 逆もまた真なり!もの(外部のもの、こと)に幸せを求めている人は、そこそこの幸福感しか感じません。人間は欲の深い動物ですから、ものに対する執着はどんどん大きくなっていきます。言い換えれば、初めは幸福感を感じたとしてもそのうち飽き足らなくなってくる…そしてその繰り返しに…。外部のもの、ことに幸福を求めている人は結局際限がありませんからそのうち「不幸」だと感じるようになってしまいます。心身一如ですから心が満たされない状況が続けば身体もおかしくなってきます。つまり不健康な状態になってしまいます。このタイプの人は、その不幸感、不健康な状態の原因をやはり外部のもの、ことそして人に求めてしまいます。
 幸せはものの中にあるのではなく、それを受け止める自分の中にあること。つまりもの、こと、人に自分の幸せ求めるのではなく、自分の在り方の中で幸福を生み出すことができること。それをチョコレートの最後の一粒が教えてくれました。




第18号・H18年1月「『どうにかなるさは』前向き姿勢!」

 近頃若い人の間で「いっぱい、いっぱい」と言う言葉がよく聞かれます。これは物事をしているときに「もう自分の能力の限界いっぱいですからこれ以上はできません」という意思表示です。
 この言葉を口に出している本人は、「限界までやったんだから、それを認めて勘弁してくださいな!」という気持ちです。
「限界までやった、やっている」ということは、「がんばった、がんばっている」ということで評価されるべき行為と見ることもできるかもしれません。少なくとも本人はそのような気持ちで口に出しているのでしょう。
しかしこの「いっぱい、いっぱい」が実は自分の能力における『壁』を自らが作り出してしまっていることに気付かなければなりません。逆の考え方をすれば、「限界ですからもうお手上げです」ということになります。つまりそう思った瞬間、その物事は一寸たりとも先には進めなくなる訳です。放棄したわけですから…。
それに対して「どうにかなるさ(ケ・セラセラ)」は、他人事で無責任のように聞こえるかもしれませんが、「この先なるようになる」ということですから、まだ望みを捨てたわけではありません。
仏教用語に「他力本願」という言葉があります。これは本来「まったくの人任せ」という意味ではなく、自分でできることをやりつつも「大いなるもの」に身を任せる態度のことを言います。「大いなるもの」というとうさん臭く聞こえるかもしれませんが、「大地に身を任せる」ときの「大地」のようにどーんと支えてくれているものと考えたらいいと思います。
 「ここから先はもうないよ」というあきらめの態度と「ここから先はどうなるでしょう」という期待を持ち続ける態度では大きな違いがあります。「どうにかなる!」のです。つまりこれは放棄の気持ちではなく、「前向きな姿勢」なのです。 
 現代科学は目覚しい発展をとげていますが、我々の身体も含めて自然現象に関して科学で分かっている事はほんの少しなのです。その少しの知識の範囲で「もうだめだ」と判断してしまったとたん壁ができてしまい、本当に一巻の終わりです。
 西洋医学は科学です。現在の医学的知識では「だめだ」と宣言された人の中でも、奇跡的な回復をしている例は数多くあります。それは奇跡ではなく、現時点では分かっていない事が起こっただけだと考えられます。
 自分自身における壁は、実は自分自身が作っているのかもしれません。「治らない」と思った瞬間に「治らなくなる」のではないでしょうか?
東洋には「病は気から」という言葉があります。「気の持ち様で病も変わる」ということです。「どうにかなる」…かもしれません。




第17号・H17年10月「健康は『生きがい』」から…!」

 先日、90歳間近の知人(男性)に会ってきました。その方は、3年ほど前に軽い脳梗塞を患いました。幸い大した後遺症もなく普通の生活を送っていました。今年の初めに夫婦そろって老人ケアハウスに入所したところ、間もなく元気だった奥さんが急逝されました。本当に突然の出来事でした。
その後、(今から半年前になりますが、)その知人をケアハウスに訪ねていきましたところ、足腰が少々弱くなってはいるものの、元気に迎えてくれ、施設の案内説明、昼食の手配までもしてくれました。また急逝された奥さんのこともいろいろお聞きしました。
その時に耳に残った言葉は、「声をかけても返事を返してくれる相手がいなくなったのが寂しい…。」というものでした。
そして半年後、今回の訪問となりました。まず会ってびっくりです。足腰は半年前に比べて相当弱っており、思わず手を差し出してしまったほどです。また顔の表情が、一瞬は感情が顔に出るのですが、すっと能面のような表情に戻ってしまうのです。話しかける言葉に対して、ちゃんと応対してくれるのですが、以前のように会話が続きません。たった半年で…。
本人曰く「食べることと、寝ることしか楽しみはないんだ。」とのこと。この頃は、日中寝ているので昼夜が逆転して夜中に起き出して管理人を起こすこともあるようです。
寝ることと食べることしかない生活では、こんなにも急速に人間を、身体もこころも衰えさせてしまうのかと本当に驚きました。
また、先日あるセミナーでこのような話を聞きました。脳卒中後の回復度を調べてみると、奥さんが発病して夫が介護するパターンが一番回復するそうです。これは、発病した奥さんが「お父さんに介護させて申し訳ない。早く治らなければ…」と思うのだそうです。
これに対して、奥さんが発病しても介護を嫁がする場合では、回復度は悪いとのこと。「嫁が世話して当たり前!」と考えるのだそうです。
もちろん夫が発病して奥さんが介護するのも回復がいまいち。「奥さんにやってもらうのは当たり前!」だからなんだそうです。(男は自立の必要性あり?)
90歳の知人やこの介護の話を聞いて、人間はいかに「生きがい」(夫の世話を生きがいとは言わないかもしれませんが…)が大切なのかを考えさせられました。こころの前向きなパワーとでも言いましょうか、何かやりたいこと、やらなければいけないことが、寝て食べること以外に何かないと、我々人間は健康ではいられないと感じたのです。
つまり健康が目的ではなく、自分は何がしたいか、あるいは自分がどれだけ必要とされているのかというような「生きる価値」「生きがい」が大切なようです。
さて皆さんは、ご自分の「生きがい」をお持ちでしょうか?




第16号・H17年8月「深層筋は弱く、小さく、ゆっくりが合言葉!」

 近年、筋肉の必要性が強く言われるようになってきました。特に高齢者にとっての筋力アップは「寝たきり」を作らないためにその必要性が叫ばれています。「自分自身の筋肉を強くできるのは、自分しかいないんですよ!」の声かけに、多くの高齢者の方は目を輝かせます。
今までは「歳だから」といってあきらめていたが「自分でできることがある!」と言うことに気づいた時の反応です。
 さてそのやり方なのですが、従来の筋力アップでは、腕立て伏せや腹筋運動で行ったように、目的とする筋肉を繰り返し収縮させて刺激を与えるというものでした。近年分かってきたことなのですが、この手の筋力アップは、体の表面に位置し体を動かすために使われる筋肉「表層筋(アウターマッスル)」を鍛えるものでした。この表層筋に対して、体を支える役割を担うのが奥の方に位置する「深層筋(インナーマッスル)」にスポットライトが当てられるようになってきました。
 人間は動くときに、この支えるための「深層筋」と動かすための「表層筋」の絶妙な二人三脚で動いているのです。ところが今までは体を動かす「表層筋」ばかりが筋力アップの対象とされてきました。二人三脚の片方の人の力ばかり強くなったらどうなるか想像してみましょう。足並みがそろわなくなり蹴つまずいてしまいます。そこでここ数年の間に、体を支える「深層筋」の重要性がクローズアップしてきたのです。
 「深層筋」が弱体化、不活性化すると、支える力が衰えますから姿勢が変化し、それに伴って体のあちらこちらが痛くなってきます。代表的な整形的疾患、腰痛、膝痛、五十肩、肩こりといった症状は実は「深層筋」から来ている場合が多いのです。
 それでは、この「深層筋」を活性化させるためにはどうしたらよいのか?「表層筋」のトレーニングをしても「深層筋」は活性化しないのです。「深層筋」を活性化する方法、それは「弱く、小さく、ゆっくり」動かすのです。
 従来の「表層筋」トレーニングから見るとやっていないのと等しいくらいの動きです。しかし、この小さい動きで「深層筋」が刺激されるのです。「こんなもので本当に効くのだろうか?」と思うくらいでいいのです。足りないと思って、大きく一生懸命動かすと「深層筋」には効かずに「表層筋」トレーニングになってしまうのです。
 具体的には、「小さくゆする、振るわす」などの動かし方です。基本的には「表層筋」を使わせないように動かせばいいのです。ところが言うはやすしで、実際にやってみるとこれがなかなか難しいのです。でもがんがんがんばってやらなくてもいいと考えるとできそうですか?
 くれぐれも御注意申し上げますが、「表層筋」も大事なのです。「表層筋」が衰えれば動けなくなるわけですから…。




第15号・H17年4月「刺激は強い方がお好き?」

 肩がこって誰かに揉んでもらうときに、あなたは弱い刺激の方がいいですか?それとも強い刺激の方がいいですか?
おそらく多くの方は強くしっかり揉んでもらいたいと考えているのではないでしょうか?ところが強い刺激で揉んでいるその時は確かに気持ちがいいのですが、その後に「揉み返し」が起こり、揉む前よりかえってつらくなってしまうことを経験した方もいることでしょう。これは揉む刺激が強すぎたために筋肉が拒否反応を示した現象なのです。
日本人は、以前から「がんばる」「一生懸命」が大好きです。だからこそ戦後の目覚しい発展があったと言ってもいいでしょう。そこで、体を動かす運動についても、「一生懸命、疲労困憊するまでやった方が身体のためにいいのだ!」という考え方が身にしみついています。
確かに若いときにはそうやって刺激することで、生理的な能力が高まる部分もあったかもしれません。しかし、特に中高年(35歳から中年)になってから、同じように強い刺激を与え続けていたら、身体が悲鳴を上げることになります。それは拒否反応なのですが、そのつらさ、痛みを乗り越えたら身体は向上すると思い込んでいる方が多いのではないでしょうか?
生理学の有名な法則に「ルーの法則」(ルー博士が提唱)があり、「人間の体は適度な刺激を与えると維持、向上する。」「刺激がないと体は衰える。」そして「過度の刺激では体は壊れる。」というものです。この法則からすると、強い刺激では体は壊れてしまうのです。
したがって健康のために行う体への働きかけは強すぎてはだめなのです。強すぎることによってかえって体を痛めてしまうことに注意してください。
ある時に温泉旅館でマッサージをしている方がこんなことを言っていました。「自分が、このくらいで揉んであげるとちょうどいいなと思われるくらいの強さ、刺激ではお客は満足しないで、“もっと強くやってくれ!”と言われちゃうんですよ。そうするとやらない訳にもいかないからねえ・・・。」と。
人間は、刺激になれてしまうとどんどん強い刺激が欲しくなります。初めて乗ったジェットコースター、初めて入るお化け屋敷は恐いですよね。でも2回目以降は慣れてしまい、最初ほどの刺激を感じなくなるといった経験がありますね。つまり人間は刺激が強いとどんどん鈍感になっていくということです。味覚も同じことが言えます。濃い味に慣れるとどんどん舌が鈍感になりますます濃い味を好むようになってしまいます。
健康のための運動も「適度な刺激」でいいのです。
「そんなんじゃ感じないからもっと強く!」と言うことは、「私は鈍感なんだから・・・」と言っているのと同じことなのですが・・・。




第14号・H16年12月「ストレスをうまく乗り切ろう!」

 健康の3要素「食事」「運動」「休養」は大分定着してきた感があります。そしてこれらのバランスも大切なポイントです。この3要素に加えてこの頃言われているのが「ストレス」です。いくら3要素に気をつけていてもこのストレスがあると健康を害してしまうのです。
 今やストレス蔓延の社会と言われていますが、ストレスによって多くの病気、障害が起こることが知られています。例えば腰痛もストレスから起こるものがあるのです。
 ストレスには原因があります。それを「ストレッサー」と呼びます。「暑い、寒い」「忙しい」「お金がない」「痛み」「病気」などなど、でも何と言っても一番多いのが「対人関係」ですね。
ストレスをなくすために、一番手っ取り早いのは原因であるストレッサーをなくせばいいのですが、これははっきり言って無理なことです。そこでどうするか?
ここでのキーワードが「心身一如」(心と身体はひとつのもの)という東洋に古くから伝わる考え方です。
つまり心の問題が身体に影響を及ぼし、また身体の問題が心に影響するのです。これは悪い面においても言えるし、逆に良い面についても言えるのです。
 心の問題は目に見えない分取扱いが難しいですね。カウンセリングなどが心に働きかける手法ですが、カウンセラーの力量に大きく左右されます。
 そこで客観的に分かりやすい身体から働きかけて心を調えようという手法が考えられます。
 心身一如ですから、心が緊張すれば身体も緊張します。逆に身体をリラックスさせれば心もリラックスするわけです。身体の緊張とはどこが緊張するのでしょうか?そうです、筋肉です。そして身体(筋肉)が緊張すると同じ強さのストレスをより強く感じてしまうのです。そしてまたもっと緊張するといった悪循環に陥ってしまうのです。そこでこの悪循環から抜け出るためには、筋肉をリラックスさせれば(ほぐせば)良いということが分かります。
 筋肉をリラックス、ほぐす手法としては、@マッサージ、A温める、そしてBストレッチなどが考えられます。これらの手法によって筋肉をほぐしてあげれば心もリラックスし、同じストレスもさほど気にならなくなるのです。Bのストレッチで注意したいのは、「強い力で痛みをこらえた方が効果がある」やり方は効果が少ないばかりか逆に筋肉をいためてしまうこともあるということです。「こんなもので効くのかな?」ぐらいの刺激で長めにやってあげたほうが効果が出ます。かたく緊張するのは身体の深部ですからじっくり長目にやらないと深部はなかなかほぐれません。
 もうひとつ有効な手段が「呼吸」です。自律神経は緊張させる「交感神経」とリラックスさせる「副交感神経」のふたつがうまくバランスをとりながら働いています。ストレス状態は緊張状態ですからつまり「交感神経」優位の状態になっているのです。そこで呼吸です。
 「呼」は「吐き」で副交感神経優位つまりリラックスさせてくれます。それに対して「吸い」は交感神経優位つまり緊張させるわけです。そこで吐きを細く、長くといった呼吸法が有効になります。
 「長い息」は「長生き」に通じるのです。




第13号・H16年9月「さて!あなたは笑えますか?」

昼の「○○もんたの○○テレビ」は多くの方が見ていて、その日の番組の中で「△△の食品が■■に効く」と紹介されると、その日の夕方のスーパーではその△△の食品が売り切れる、という社会現象まで起きています。皆さんの台所には相当前に買ったココアがどこかに隠れていませんでしょうか?(^_^;)
この手の番組は「これだけで、これに効く!」というインパクトを大事にしていますので、内容をよく注意して聞いて(見て)いないと情報に振り回されることになります。(決してうそを言っているのではないのですが、裏に隠れている内容が多々あるということです。)
さて、ある町でお年寄りの女性が急にぶくぶくと太りだしました。町の保健婦さんが気づいて問いただしたところ、その○○テレビで「黒砂糖が健康にいい!」と言っていたので、毎日一生懸命食べているとのこと・・・。もう皆さんはお分かりのことと思いますが、「白砂糖より黒砂糖の方が・・・」ということですね。ところがそのおばあちゃんは、黒砂糖を食べると健康になれると思い込み、一生懸命食べて、そしてぶくぶくと・・・。
この話を聞いて皆さんは「しょうがないねえ!」と笑うんだろうと思います。でも、でも、実際はこれと同じようなことを我々はやっているんです。
それが「果物」なのです。皆さんは「果物は身体にいい!」と思ってませんか?ビタミンとかが豊富でお菓子を食べるなら果物の方が栄養があり、いっぱい食べた方がいいと考えてやしませんか?
果物に含まれる糖分(これが多いから甘くておいしい!)は、身体への吸収がすばらしくいいのです。このことを忘れて、身体にいいからと果物をいっぱい食べると糖分の摂りすぎとなり中性脂肪がどーんと上がってしまうのです。
これって先ほどのおばあちゃんの黒砂糖と同じだと思いませんか?
「身体にいい!」というところばかりが頭にあって、糖分が多いとか中性脂肪が増えてしまうなどの情報はまったくなしですね。
こどもにおやつを食べさせるときにお菓子と果物があったらどちらを食べさせますか?おそらく果物ではないですか?それも「いっぱい食え!」と・・・。
福島では特に果物が豊富で手に入りやすいので、どうも食べ過ぎてしまうようです。いかがでしょうか?
現在は「果物はお菓子と考えて食べるように・・・」と栄養士さんは説明しています。
お菓子は気をつけるけど、果物はたっぷり食べる。これでは先ほどのおばあちゃんのことは笑えないですよね。
こんな落とし穴が結構あるのです。気をつけているけど痩せないあ・な・た!




第12号・H16年7月「一病息災?無病息災?」

昔から言われている、「病気がなく健康に過ごせることはなによりだね。」というのが「無病息災」。これに対して近年は、「ひとつくらいどこか悪いところがあった方が身体に対する意識が高まり、長生きできるよ。」という「一病息災」の考え方が出てきました。
健康を管理する上での大事なポイントに「自覚症状があるか、ないか?」が挙げられます。何らかの自覚症状がある方は、その自覚症状が出てきたら自分で注意します。(それを無視してやってしまう人は論外ですが・・・)ところが身体の状態は良くなくて悲鳴を上げ始めているのにそれを自覚しない人は、そのままやり続けてしまいます。そしてあるレベルを超えて身体がもう耐え切れなくなったときに・・・ぷっつりと・・・。
血圧が高い方の中に、まったく自覚症状がない人もいますし、ちょっと血圧が高くなってくると肩が張ったり、頭がボーっとしてくる人がいます。
肩こりで悩んでいる方はもちろん自覚症状を感じている人です。ところが他の人が触ってみるとコチコチ、パンパンに肩が張っているにもかかわらず何の自覚もない人がいますね。
はてさて自覚がある人とない人、どちらが幸せなんでしょうね?
自覚がある人は、もちろん不快な症状なのですから「いやだなあ」と思うでしょう。自覚がない人は、普通と同じ状態なのですから特になにも感じないし、考えません。
この現象だけをみると、自覚症状を感じない人のほうが幸せと感じるかもしれません。でもこの人は、身体が破綻するまで知らずにやり続けることになります。
よく「さっきまで普通に働いていた、動いていたのにぽっくり逝ってしまった。」という人の話しを耳にしませんか?
この人は、自覚症状がなかった・・・か、自覚症状があっても無視していた人なのです。こうして考えると自覚症状がないことがいいことなのか、どうか?ですね。
「自覚症状がない」というのは、正確に言えば、「自覚症状を感じない」なんですね。必ず身体からは不調を知らせる信号(自覚症状)が出ているはずなのです。つまり「感じる感覚が鈍くなってる」ということなのです。この状態を専門的には「失体感性」と呼ばれています。
肩こりの自覚がない方にストレッチングなどをしてほぐしたその後、それまで感じたことがなかった肩こりを自覚するようになったという人がよくいます。本人は「今までにはなかった肩こりが出てくるようになった。悪くなっちゃった!」と感じている人がいますが、実は「こりを感じることができるようになった。」ということなのです。すなわち「改善、進化した」ということ。
あなたは「無病息災」と「一病息災」どちらがよろしいでしょうか?




第11号・H16年5月「ほぐれる身体、ゆるむ心」

日本を含む東洋には昔から「心身一如(いちにょ)」という言葉があります。これは、「こころと身体はひとつのものだよ」と言っているのです。
こころと身体は相互に影響しあうわけです。こころ(精神的)に悩みやストレスがあるとすぐに身体に出てきます。「胃が痛くなる」「吹き出物が出る」「頭痛がする」「肩がこる」などなど。また身体的につらいところがあればこころが晴れやかでいるというのは難しいですね。
言い換えれば、こころの緊張が身体の緊張を生み、その身体の緊張によるつらさがこころを圧迫しさらにこころは緊張し、もっと身体は・・・というように悪循環に陥っていくことは容易に理解できます。
ではどのように対処すればよいのでしょうか?
こころ(精神的)なストレスは、「分かっちゃいるけど・・・」なかなか、こころの中だけでは対処が難しいものです。どうしましょうか?
そうです!「心身一如」でした。こころと身体は表裏一体のものであり、相互に影響しあうわけですから、こころからのアプローチが難しいのであれば、ここはひとつ身体から働きかけをしてみましょう。
こころの緊張は身体の緊張となって確実に現れます。「そんなことないわ」と思っている方もいるかと思いますが、それは甘い!一般的にいう単なる柔軟性というものとは違います。身体の深部の緊張です。
何が緊張するのかといえば・・・そう「筋肉」です。身体の深部、芯の部分が緊張すると血流が悪くなり、肩こり、頭痛、冷えなどを起こし、そこからまたいろいろな不快な症状へと広がっていってしまいます。
さあ、積極的に身体をほぐしましょう。先ほど言ったように、単なる柔軟性ではありません。深部、芯部をほぐさなければ意味がありません。
具体的には、体をゆっくりと滑らかに動かすことで筋肉の深いところに効いてきます。速い動きでは外側の筋肉が主に使われます。
なるべく力を入れないで、身体をプラプラゆらしたり、ねじったりだけでいいのです。それをなめらかに・・・。どうでしょうか?そう、結構難しいことに気が付きます。つまりそう簡単には深部はほぐれないということなのです。
身体の外側、内側がゆるゆるにほぐれてくれば・・・そうです!こころもほぐれてくるのですよ!
参考書など:高岡英夫「ゆる体操」関連。いくつかの書籍、ビデオが出ています。




第10号・H16年2月「あなたの貯蓄はいかほど?」

現在年金の問題が良く取り上げられています。何が問題なのかといえば、限られた財源の中からいかに年金を出していくかということです。高齢少子化に伴い、負担増にも限界があります。
人間の寿命もこれと同じように考えることができます。我々は生物、動物であり、エネルギーで生命を維持し、動いています。エネルギーがなくなったときに死がおとずれます。
この生命をつかさどるエネルギーを「気」と表現すると、持って生まれた気があります。親から相続した財産です。これを「先天の気」といいます。これは自分自身ではどうしようもないものです。
もうひとつが産まれてから、自分自身でとりこむ気があります。これを「後天の気」といい、食事をしたり、人や場所から吸収して補充していきます。
これら持って産まれた「先天の気」と補充していく「後天の気」の総和によって我々の生命が営まれているわけです。これが財源に当たるものです。つまりプラスの要素。
これに対して「使う、消費する」エネルギーの量がマイナスの要素です。一度にエネルギーをたくさん使ってしまえば早くなくなってしまいます。
そこで生きるということをこのエネルギーの観点で考えると、足し算、引き算ということになるのです。足し算は「後天の気」を食事などで適時補充するというイメージ。引き算は動いてエネルギーを消費するイメージでしょうか?最終的に残金ゼロになったら……「動かなくなる」ということなのですね。
そこで考えられることがふたつ。ひとつは使った分のエネルギーはしっかり補充していく。あるいは予想される万が一のときに備えて余裕を持って蓄えておく。これがプラス。
マイナス面は消費の仕方。やみ雲に使っていたのではどんどんなくなってしまいますから、無駄な出費はなるべく押さえることが肝腎です。
言い換えれば自分自身の人生の長さはこの気の出し入れで決まると言ってもいいのです。したがって人生計画は、エネルギー(財産)の出し入れの計画でもあるわけです。
この考え方を昔の人は「養生」と呼びました。今や死語になりつつある言葉です。「養生」とは適切に気を補充しながら、無駄な出費を押さえるようにして、自分が望むような豊かな人生を送ることができる「術(すべ)」であると言うことができます。
大切なことは「ただ長く生きること」ではなく、その限られた時間をいかに「うまく使う」かということなのです。財産管理がしっかりできている人は、そのお金の使い道も計画的にかつ効率的に行うことができますね。逆にその日暮らしでは、ものごとをイメージどおりに形作ることは難しいわけです。
あなたの財産、あとどれくらいありますでしょうか?